LPG(液化石油ガス)の気化は絶え間なく続き、ガスタンクがかげろうのように揺らいだ。
「いかなる事態になろうと、市民が避難できる時間稼ぎは可能だ」
ガス漏れが始まって四日目の一月二十日午前九時。東灘消防署の藤原潤一郎消防司令補の説明に、集まった小隊長たちの表情がこわばった。
事故タンクから隣のタンクヘのガス移送が始まった十八日午後六時半、神戸市東灘区の住民七万人の避難勧告は解除された。
だが、ガス漏れはその後も続く。二十日未明、タンクを囲う防液堤の外で再びガス濃度が高まった。ガスは無臭で、空気より重い。現場では爆発の恐怖をだれもが感じていた。
「撤退の時期はどうなりますか」「指令は伝達してもらえるんですね」
小隊長たちの切羽詰まった問いに、藤原司令補は「一気に燃え上がることはない。撤退は合図する」と応じた。だが、最初の引火爆発でタンクが倒壊したら…。誘爆の規模は想像もできず、話せなかった。
メキシコで一九八四年に起きたLPG基地爆発事故は、ファイアボール(火の玉)が地上五百メートルに達し、半径五百メートル以内の家屋が全壊、十キロ先の家のガラスが割れ、一キロ以内でふく射熱による死者が出た-との報告がある。
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今回のガス漏れは十七日未明、地震発生とともに始まった。「エム・シー・ターミナル神戸事業所」の二万トンタンク三基のうち一基のバルブから、零下四五度の液化プロパンが糸のように流出した。
事業所の一一九番通報は午前十時にやっとつながった。各地の火事で出動可能な消防車はなかった。「漏出は少量」という事業所の報告に、市消防局は自力復旧を求めた。
しかし、余震で漏れる量は増えた。十八日午前二時、防液堤の外のガス濃度は安全値を超えた。事業所と県は、泡でガスの気化を防ぐ「高発泡」の放射を決めた。ところが、事業所に高発泡器とその原液の備えがなく、市消防局に依頼しなければならなかった。
火事現場から転進した藤原司令補らが高発泡器をすえつけた。「落とすな。火花が飛ぶと最期だぞ」。
避難勧告が発令された午前六時が、発泡開始の時刻だった。
同区の防災計画にLPG漏れの想定はなく、現場から半径二キロの避難範囲の根拠をだれも説明することができない。
神戸市消防局も、LPGの安全を監督する兵庫県計量保安課も、爆発の被害範囲を算出したことがないという。事業所は「飛行機の墜落ぐらいしか爆発を想定していなかった。法令で定める耐震、防災対策は万全だったが…」と釈明する。
安全神話への過信が、爆発の想定を必要ないものとしてきたのだった。
1995/3/3