阪神・淡路大震災の発生から一年がたった。未来に向けたモデルとなる都市を「復興」させたい。そのためにも、たおやかで、強い絆で結ばれた「新たなコミュニティー」をつくっていきたい。
神戸商科大学と民間研究機関の若手研究者たちによって、地域社会が直面するさまざまな問題に対応し、新たな市民生活の在り方を模索するネットワーク型のコミュニティーの理論的研究が続けられている。
「クラブ・コミュニティー」と名づけられたこの新しいコミュニティーの研究は、二年前から始められたが、阪神・淡路大震災を経験して、これまで論議されてきたコミュニティーとは異なる新たな「形態」と「機能」の提案が要請されるようになった。
人はコミュニティーを離れて生きていくことはできない。「生活」そのものを維持することも難しい。それは阪神・淡路大震災の経験からも明らかである。
すでにコミュニティーが崩壊したと思われた神戸・阪神間の都市部で、あの悲惨の最中にあっても、けが人の救出や手当て、火災の消火、食糧や水の確保と分配、避難所づくりといった生きるための役割分担と組織化がごく自然に行われた。かつての地縁社会が持っていた基本的な機能である。それがあちこちの都市で再現された。
だが、そこには従来型のコミュニティーにとどまることのない、「新たなコミュニティー」への欲求や願望があるのではないだろうか。
交流と信頼
「新しいコミュニティー」とは、どのようなものだろうか。
「それはひとことで言えば、伝統的なコミュニティーの持つ”縁”と、欧米的な”契約”の狭間にあり、効果的で緩やかな連帯を実現する装置だ」と神戸商大の三木信一学長はいう。「クラブ・コミュニティーの研究会」のまとめ役でもある三木学長は、そのキーワードに「コミュニケーション(交流)」と「トラスト(信頼)」をあげた。
一年前のあの日は、寒さの厳しい一日だった。凍てつくような日が何日も続いた。ライフラインが寸断された被災地は住む家はむろんのこと、食べるものも飲む水すら失った。地域の「小さな社会」は懸命に助け合い分かち合ったが、「大きな社会」である国や自治体は未曾有の危機に、なかなか機能しなかった。
そんな被災地の飢えと渇きを救ったのは、農山漁村からの支援だった。
とりわけ都市との交流を重ねてきた但馬や丹波、西播磨などから、近隣県から多くの”交流団体”が気の遠くなるような交通渋滞をものともせず、食糧と飲料水を次々と被災地へ届けた。
「都市と農山村は相互依存の関係にあることをあらためて思い知らされた」と神戸大学農学部の保田茂教授はいう。都市と農山村の交流は、これまでどちらかといえば農山村を活性化させることに力点が置かれていた。だが、これからはニーズ充足型の交流ではなく、危機管理型の交流という視点も重視した新たな交流のシステム化を保田教授は提案する。
「コミュニティー」とは「生活の場」で市民としての自主性と責任を自覚した個人や家庭が「地域性と共通目標」を持ってつくる「開放的」で「信頼感」のある集団(国民生活審議会)と定義されてきた。
大きな社会でなく
もちろん「生活の場」とか「地域性」を考えないわけにはいかない。震災復興のまちづくりでも、「小さな社会」が大きな役割を果たしている。
しかし、同時にコミュニティーが「共通の目標」を持ち、利害を分かち合う「開放的」で相互の「信頼」の上に成り立つとすれば、都市と農山村、地域と地域といったネットワークによって結ばれた「新しいコミュニティー」意識が、この大震災を契機に生まれ始めていることを感じないわけにはいかない。
そのキーワードは三木学長がいう「コミュニケーション」と「トラスト」にあるのかもしれない。
わたしたちは、戦後最大の災害からの「復興」は、二十一世紀に通じる防災思想を体現するだけにとどまらず、新たな都市文明を築いていくものでなければならない、と主張してきた。そのためには中央集権的な行財政の仕組みなど、「復興」を妨げているいわゆる「日本的システム」を見直していくことが必要だと訴えてきた。
そのためにもコミュニティーの絆をたおやかに、強くしていかねばならない。「大きな社会」である国家ではなく「地域」を強くする。「地域」と「地域」の交流・連携による「新しいコミュニティー」をつくっていく。そのことが国・県・市町・地域というヒエラルキーを変えていくために必要ではないだろうか。
それは、コミュニティーを構成する私たちへの問いかけでもある。
1996/1/17