午前二時、神戸市役所三号館七階の第三会議室。六畳にも満たない小部屋で職員たちは、図面をにらみ、学校の被災状況を書類にまとめていた。補修に必要な補助金申請のため、市教委が文部省や県教委に出した書類は段ボール箱六十四個、四トントラック一台分。「緊急時に、なぜこんなに書類が必要なのか」。職員は夜ごと、ため息をついた。
同市内三百四十五の幼稚園、小、中、高校のうち、震災で被害を受けた学校は二百八十校園。うち全壊、半壊など被害が甚大だった二十校園は改築、残り二百六十校園は補修に回された。
国は公立学校に対する補助を、「建物」「建物以外の工作物」「土地」「設備」・の四つに区分けしている。補助金を申請する自治体は、区分ごとに「工事費積算内訳書」を作成し、さらに被害配置図、復旧図、写真を添付しなければならない。一校につき八十枚の書類、六百枚もの写真を必要とする学校もあった。文部省はひび割れにさえ、一つ一つの写真を求めた。
「せめて四区分が一まとめになっていたら、事務量は半減し、もっときめの細かい被害調査ができた」と当時の担当者。しかし「どんぶり勘定で補助はできない」との姿勢を、文部省は崩さなかった。
地震から三カ月後の九五年四月二十四日、国の現地調査が始まった。文部省の査定官と大蔵省の立会官(りっかいかん)が、補助申請の出た被害校を回る。前後五カ月、市教委は書類作成に追われた。担当者は、校舎の壁に入った一筋のひび割れ、窓枠のビス一本見逃すまいと血まなこだった。作業はいつも未明に及んだ。
文部省は、学校施設の災害復旧費を査定する現地調査を、一校につき一回、と定めている。「一校一査定」の原則だ。調査を早く済ませ、早期復旧を図る趣旨なのだが、震災では、これが足かせになった。
査定を終えて工事にかかると、調査で見逃していたひび割れなどが次々に見つかったのだ。
神戸市垂水区の市立神陵台中学校。今も、運動場と側溝の間に十五センチの段差が残る。市教委は査定で、校舎の破損個所は計上したものの、運動場を漏らしていた。再査定は認められなかった。
そのため、学校や市の予算を使って六十トンのまさ土を買い、教師や生徒が五カ月かけて整地するはめになった。新しい土は今も、雨が降ると水を吸ってぬかるみ、最も沈下している南西角から流れ出す。
同市が二年間に使った学校補修費は総額八十七億円。うち国の補助金が五十七億円。調査で抜け落ち、再査定が認められなかった被害が五億円。これはすべて、市の負担になった。
震災で文部省は、応急仮設校舎への補助などの特例措置を打ち出し、被災地の教育を支えてきた。だが、煩雑な手続きは、教委が現場対応に忙殺されている中でも、基本的に変わることはなかった。
窓ガラスの一枚まで査定し、統制してやまない集権構造。その硬直が生み出す自治体の膨大な事務量と負担。ツケはすでに、市民に回っている。
(西岡 研介)
1997/2/25