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 市場は消えていた。

 震災前、二十店が軒を連ねた神戸市東灘区の三和市場。二年間に再開したのは四店だけで、あとは新しい住宅と更地に変わった。組合は解散し、豆腐店主だった多村敏夫(52)は今、軽トラックに食料品を積んで行商に回る。そして、ふと思う。「もし、店の跡地にすぐ仮設店舗を建てられていたら…」

 震災直後、神戸市も同じことを考えていた。震災二日後、九五年一月十九日、企画部長(当時)溝橋戦夫は、市長の笹山幸俊から緊急課題を与えられた。

 「商売人は早く店を再開しないと生活できない。私有地への仮設店舗付き住宅建設に補助できないか」

 仮設用地の市街地での確保は困難視された。笹山が考えたのは、がれき撤去後の私有地に、自力で仮設住宅、あるいは店舗付き住宅を建設する被災者への補助である。

 溝橋らは補助額を、災害救助法に基づく仮設住宅建設費の半額、一戸、百四十万円程度とし、案を兵庫県に伝えた。県は翌二月、県庁を訪れた自民党総務会長(当時)武藤嘉文にもその趣旨を要望。武藤は「こういうときは超法規的にやらなくてはいけない」と対応を約束した。

 しかし、県、市の間で、考えは微妙に食い違いつつあった。

 県は「広い土地の所有者には複数の仮設住宅を建ててもらう」「二階建てにし、二階を別の被災者に提供する」と提案。設置主体を県や市にすることで、「個人補償はできない」という国の壁を破ろうとの意図だった。

 だが、神戸市は「県案では新たに賃借関係が発生し、土地所有者に負担がかかる。現実的でない」と反論。補助は「被災者の自立を支援する福祉施策」との立場を取った。

 協議は、主に国と県の間で進んだ。災害救助法が制定された一九四七年に、政令指定都市の制度はなく、運用は知事に委任されていた。機関委任事務である。そして現実に、仮設住宅の発注も県に一元化された。民間から寄贈されたコンテナで、同市が長田区の公園に建てた約六十戸の仮設住宅は、「法の規格に合わない」と、約三カ月で撤去された。

 笹山が指示した自力建設への補助も、協議の末に国が「私有財産の形成に対する補助、個人補償にあたる」と判断、春風とともに立ち消えになった。

 「こちらの思いを直接国に伝えられない。はがゆかった」と神戸市幹部。一方、建設省出身の県住宅建設課長・藤原保幸は「被災者に所有権が移ってしまえば、管理や撤去はどうするのか。仮設住宅が何年も残ると災害に弱いまちを再生産してしまう」と語る。

 笹山が、当時の思いを明かす。「最大の狙いは、地域コミュニティーの維持だった」・と。

 商店主も住民も、親しんだ土地で、商いを、生活を再建できる。少なくともその姿に近づける。「確かに管理の問題はある。それでもコミュニティーを守る方により価値があると判断した」。珍しく笹山は、語気を強めて続けた。

 「地元のことを一番よく知っている自治体が、復興行政に主体的にかかわれない。これは、おかしい」

    ◆

 地方分権が叫ばれて久しい。政府の地方分権推進委員会は昨年末、機関委任事務の廃止など、自治体の自主性や主体性の拡充を求める勧告を出した。しかしそれを待つまでもなく、国と地方の関係を問い、分権の必要性を浮き彫りにしたのは震災だった。もしできていたなら、三和市場も、復興の姿も、現状とは違ったものになっていたはずだ。被災地が抱く素朴な七つの疑問から、分権を問う。

(敬称略)

(太田 貞夫)

1997/2/19
 

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