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(4)もろさあらわに 「職」の基盤も揺らぐ
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 「この地区(被差別部落)にいて、子供たちが将来に希望を持てると思う? 学問を身に付けてもはばたけないのよ」

 長男に起きた就職差別を語るうち、母親(56)の言葉は熱を帯びた。

 震災の年の早春。大学生だったAさんは大手企業に入社が内定していた。ところが、その企業が震災ボランティアとして神戸に派遣したある社員がすべてをぶち壊す。Aさんの母が被差別部落の出身だと知り、会社に報告したのだ。

 「母さんは地区の人らしいな。入社したら、実家にはあまり行くなよ」。Aさんは会社に呼ばれ、告げられた。衝撃が全身を貫いたに違いない。ほどなく、内定を辞退。

 「今も見えない差別はある。大企業ほどそう。少しでも差別に悩んだ経験のある親なら、子供を同じ目にあわせたくないと、部落から出て行かせようとする」

 母はその言葉通り、小学生のころから長男を地区の外で生活させてきた。だから、結果に、がくぜんとした。

 神戸市によると、一九九三年度の「同和地区実態把握調査」では、同和地区に住む男性は、中小零細企業に勤める人が多い。「従業員一・四人」の事業所が最も多く、二〇%。次いで官公庁一四%、「三百人以上」の事業所が一三%、「五・九人」が九%と続く。

 こうした零細企業は、震災でもろに影響を受けた。中学を中退して靴店に修業に入った神戸市長田区の被差別部落に住むBさん(64)は、紳士用ケミカルシューズメーカー数社の”相談役”として、商品デザインの助言をしたり、職人集めの手配をしていた。しかし震災で倒産、廃業。失業が待っていた。

 倒産したメーカーの再開で今年から働きに出るようになったが、給料は以前の四分の一。その支払いさえ滞りがちだ。「流行があまりない紳士靴は特に悪い。またいつ倒産することか…」

 同じくケミカル業界にパートタイムで働きに出ていた女性は、ガードマンに転職した。タクシー運転手にくら替えした男性もいる。

 Bさんは地元を歩くと「何か仕事はないか」と失業した知人によく声をかけられる。「土木現場に行きよった若いもんは、不況の上に地方から同業者が来てるから、あぶれるもんが多い。靴も当時から足元を扱うものと低く見られとった。底辺の住民が一番影響を受けとる」とBさんは言う。

 神戸市は就労対策の同和事業として、職業技能の免許取得を促す各種専門学校への通学補助制度を、六四年度から設けている。利用者は、九六年度が十五人、その前は六人。七八年ごろには百人を超えていた。免許を取りさえすれば仕事に就けた時代だった。制度と現実に、ギャップもある。

 被差別部落に育ち、そして安定した職に就く率は、かつてよりは高くなっている。はばたく若者たちも確実に生まれている。しかし、縮まったとはいえ、なお残る地区内外の進学率格差、生活基盤のぜい弱さ。そして夢がまさに成就しようとしたその瞬間に、母と息子を襲った根強い偏見。

 Aさんは大手企業への入社を断った。今は、現場仕事に汗を流している。

1997/9/6
 

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