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震災と被差別部落
 3年目初秋の報告 人権 新たな世紀へ

(1)震度7帯の上だった 災害に悩み続けた歴史
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 阪神大震災で、震度7を記録した区域を赤く塗った地図がある。赤は東西に伸び、一本の帯を描く。そして、神戸・阪神間にある主な被差別部落をその地図に書き込む。すると、気づく。点在する同和地区のほとんどが、その帯の上に乗ってしまうのだ。

 海と山に挟まれた傾斜地の中ほどを走る、幅一・二キロ、全長約二十キロの震度7の帯。この帯と同和地区の立地とに関連はあるのか。被災状況を調べるため、同和地区を回る神戸市内の大学教授(都市計画)を研究室に訪ねた。

 「本当だ。関連があるかもしれない」

 教授は少し驚いた様子で地図をのぞきこんだ。都市化した今となっては判別しにくいが、古くから地盤が軟弱な土地だったことの悲しいあかしなのか。何秒か腕組みした後、教授は一つの解釈を導き出した。

 「どこかに関連性をみるとすれば、同和地区の多くが鉄道沿線にあることが挙げられる。線路沿いは騒音やばい煙による火事の心配、盛土などで一般から敬遠されていた」

 被差別部落は、強制的移住や分村などにより形成されたところが多い。神戸市内でも、古い町や村の境界線、いわば輪郭部に追いやられた地区がみられる。

 しかし教授は、地震のずっと以前から、地区が自然災害と無縁でなかったことをむしろ強調した。

 「水はけの悪い湿地や河川の合流点など、条件が悪く社会から孤立した地域に形成されてきた。そこに、部落の特徴がある」

 震度7の揺れで九人の死者を出した宝塚市内の同和地区も川の合流点にあり、水害に悩まされ続けた歴史がある。自宅が全壊した団体職員(45)は「ここの川は、宅地より高いところを流れる天井川で、昔は大雨ごとに冠水した。部落は川の破れるところ、山地の谷あいなど危なっかしいところに多い。これは間違いないんや」。話しながら、何度もうなずいた。

 神戸市長田区内の被差別部落のすぐ近くを流れる新湊川は今、護岸工事の真っ最中だ。五カ年、総工費約百八十六億円を投じる大改修。震災復旧を機に水害防止をと、川底を二メートル掘り下げているのだ。

 部落解放同盟神戸市連絡協議会の平林照夫事務局長は「工場地を水害から守るため、明治三十年に川がねじ曲げられ、部落のすぐ山側を通るよう付け替えられた。川がはんらんすると、部落は水浸しになった。共同便所の汚物があふれ、不衛生極まりなかった」。別の男性も「東から西へ横を向いて流れる川など、神戸の町なかで聞いたことがない」と口をそろえる。

 西宮市内の地区住民(68)も力なく笑った。「十年間運動して、ようやく今年四月に治水工事が終わった。昔の浸水空間が、今では河川改修で”親水空間”と呼ばれている。皮肉だよ」

 ある部落史は、被差別部落の立地をこう説明している。「天地の災害が重なるような地に強引に移し、固定していった」と。

    ◆

 震災が神戸・阪神間七市の同和地区(約二万千五百世帯、約五万三千人)にもたらした被害は、死者百八十人、およそ三戸に一戸が全半壊した。それは、同和対策の多くが一般施策に移行しようとする矢先の出来事だった。あれから三度目の秋。被災した同和地区から報告する。

1997/9/2

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