被災地を離れて暮らす県外被災者を対象に神戸新聞社が実施したアンケートに二百五十人が回答、その自由記載欄には、多くの切実な思いがつづられていた。「私たちの実態を調べてほしい」。震災から三年近くたった今でも、行政への要望で最も多かったのは、こうした声だった。
▼神戸を出たら何も援助ない
足で実態を見聞してください。神戸を出たら被災者ではないといわんばかり。日本中、いつ災害が起きるとも分からないのに、横の連携をどうして広げないのでしょう。何一つ援助がなくても、それは皆が同じだと思えばこそ辛抱したのです。(広島県・70歳以上女性)
▼慣れぬ土地、苦労知って
「神戸は復興しています。皆さまが帰ってくるのを待っています」と市の広報紙には書かれていますが、県外の者が慣れない土地でどんな思いでいるかご存知なのでしょうか。負担すべきものが目の届きにくいところへ行ってくれて、やれやれ、というのが行政の本音ではないでしょうか。(岡山県・30代女性)
▼難しい生活の順応
寝間着一枚でこちらに来た時は無我夢中で命があることを感謝したが、月日がたつにつれ、風土の異なる生活に順応するには年を取りすぎたと悲哀を感じている。テレビや新聞で被災地の様子を見るにつけ、県外に出た者は関係ないのか、と訴えたいことも山ほどあったが、いまはその情熱もうせた。先のめども立たず、ただ一日を無事に暮らせることを念じている。(滋賀県・70歳以上男性)
▼顧みられずに肩身狭い思い
仮設でもなく、県外でもない市外避難者です。震災以来、一番話題に上らなかったのが私たちではないかと思えてなりません。神戸市民でありながら神戸に住む家はなく、当地ではなんとなく肩身の狭い思いで暮らさなければならない私どもは大きな池に泳ぐミズスマシぐらいの存在でしかないのかも。(高砂市・60代女性)
▼北海道など各地を転々
知人の世話で大阪、名古屋、北海道を転々とし、わずかな蓄えも使い果たした。年金で毎日をやりくりしながら生活している。これから先のことを考えると生きていく力がなくなった。(愛知県・60代女性)
▼無理がたたり、亡くなった夫
震災から三カ月目、夫は急性心筋梗塞(きゅうせいしんきんこうそく)で急死。建築技師でしたので、あちこちから相談を受けて走り回り、疲れていたのだと思います。慣れない土地に来て夫の急死に精神的にずたずたになりました。障害のある息子のために無理してここで中古マンションを買いましたが、こつこつ蓄えたお金は使ってしまいました。(奈良県・50代女性)
▼いまだつかめぬ実数 つながりは広報紙だけ
「五万五千人程度」。兵庫県が昨年十二月、「一つの見方」として示した数字が今も県外被災者数に関する唯一の推計値とされている。震災があった九五年の転出者と、震災前五年間の年平均転出者数を比較、その差を震災による転出者と見た数字だ。
しかし、住民基本台帳をもとにしているため、住民票を元の住所に残したまま県外で暮らす人は含まれておらず、実数とかけ離れている可能性もある。
住宅の一元募集や義援金受け付けなどを通じて被災自治体には県外被災者の情報はある程度は集まるが、「個人情報保護」の理由から行政内部でも有効に共有できていない。
そんな中で、県外被災者と被災地をつなぐのが自治体広報紙の配布。神戸市一万三千部、西宮市三千七百部など神戸・阪神間、明石の計八市などで約二万部が市外に送られている。これも送付の希望者に限られる。
対象者が少ない川西市は年一回、市のあっ旋で市外の公営住宅に仮入居した世帯を訪問。十月の調査ではまだ十二市一町に二十八世帯が居住し、正式転居に移行した人もいる。
1997/12/18