午後十一時。仮設住宅の間の通路に、明子さん(32)=仮名=と父親の影がゆらめく。砂利道を歩く足音が周囲に響いた。
「だれかに見つかったらどうしよう」
震災の年の秋。明子さんは、仮設住宅で暮らす夫に連れていかれた長男(当時三歳)の様子を、実家から確かめに来た。目指す住宅の室内は真っ暗で、留守のようだった。だが、軒先には見覚えのある息子の肌着やパジャマが干してあった。「あの子はここで暮らしている」。ほっと息をつき、父と家路についた。
神戸市内の自宅は全壊。翌日、知人が所有する集合住宅二戸に夫の両親とそれぞれ入居した。
夫の父が営む損害保険会社に夫婦で勤めていた。震災で仕事量が増え、家事に手が回らなくなった。それを見た姑(しゅうとめ)は「食事も満足につくらない嫁なんて」と夫にぐちをこぼした。しかし、夫はかばう様子もない。嫁と姑の関係は一気に悪化、夫への不信感も募っていった。
やがて、心労から自律神経失調症になった。座っていてもエレベーターで上下しているようなめまいを覚えた。とくに姑の顔を見ると過呼吸症になった。
夫との別居を前提に、養生のため休職しようと仕事の引き継ぎを始めた夏、夫が言った。「別居してもいいが、引き継ぎが終わったら子どもは渡してもらう。長男の長男の長男だから、っておやじも言ってる」
義父も夫も長男だった。
「女ならいらないとでもいうの。震災で大勢の人が亡くなった今、まだそんなことを…」
明子さんは強い怒りを感じた。一方で、家庭内のいざこざにはもう、疲れきってもいた。
離婚を決意し、実家に息子を連れて帰った。夫は両親と仮設暮らしを始めた。その年の秋、夫が突然やってきた。「息子を入院中の父に会わせたい。二泊三日だけ預かる」
しかし、三日が過ぎても息子は戻らなかった。だまされたことに気づいた。
1999/3/16