震災を機に、夫と別居して三カ月が過ぎた。潤子さん(38)=仮名=はファミリーレストランでパートを始めた。結婚以来、外で働くのは初めての経験だ。
得意の料理の腕を生かして、と考えていたが、現実は厳しかった。ちゅう房での仕事は手を休める暇もないリレー作業。リズムを乱すと、上司に怒鳴られた。同じように注意されても、黙々と働く他のパート女性の姿を見て、遊んで暮らせた自分の主婦時代とのギャップを痛感した。
数カ月でパートを辞めた後、知人の紹介で勤めた三宮の生花店で、得意客の一人に「ビルに空き室があるから」と、スナックの出店を勧められた。
素人には無理と思いながらも、理想の店がふと頭に浮かんだ。
「女性が一人でもホッとできる店」
震災翌年の九月、資金を母親らに借り、小さなスナックを開店した。店には自分の名前を付けた。
女性に気に入ってもらおうと、うどんや八宝菜、きんぴらなど、家庭料理をそろえ、食べ放題、飲み放題で二千五百円にした。
破格の安さが口コミで広がり、客足は順調に伸びたが、計算が甘かった。店の家賃は月額二十六万円。カラオケのリース代などを合わせると、経費は月に五十万円かかる。売り上げは追いつかなかった。
「やっぱり主婦感覚ではだめね」
料理のメニューを簡単なものに替え、料金も世間並みにした。
それから二年余り。なじみ客は増えつつあるが、赤字は続き、重ねた借金は一千万円まで膨らんだ。
何度も店を閉めようと悩んだが、昨年末、迷いを振り切って、年中無休で営業しようと決めた。
「初めて自分の力で選んだ仕事。楽じゃないけど、その分、世界は広がったから」
1999/3/12