「防災が根づかない。敗北感さえある」
四年ぶりに会った、東京のまちづくり計画研究所代表、渡辺実さんが語った。
当時、渡辺さんは神戸市の地域防災計画策定にコンサルタントとして携わっていた。数々の教訓をどう生かすべきなのか、持論を説き、聞かせてくれた。混乱が続く被災地で、失敗を繰り返すまいとする熱意があふれていた。
だが、今の被災地は、自分が描いた姿とはかけ離れている、と残念がった。
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私たちの防災意識は、高まったのか。防災の日を前に、総理府がまとめた世論調査の近畿ブロックの結果は、惨たんたる結果だった。「家の耐震化」は三%しか取り組まず、「対策は特に何もしていない」は四〇%を超えた。全項目で全国水準を下回った。
大地震が心配される東海ブロックでも、数項目下回った。静岡県の元防災局長で防災情報研究所長の井野盛夫さんは「行政の力で、これ以上防災を高めるのは難しい」と限界を感じる。
その井野さんに会いに行く時、静岡駅から町の中心部を歩いた。古い木造住宅に加えて、違法駐車の列と、商店街に立つ雑多な看板が目立った。井野さんは「避難する時、邪魔になると分かっているはずなんですが」と声を少し荒らげた。
被災地、兵庫県でも同じことが言える。震災時、情報が完全に途絶したことを教訓に、県内の各自治体には最新の情報ネットワークシステムが網羅されるなど、防災拠点が整備された。全国からも注目を集める。
だが、神戸大の山下淳教授(公共政策)は「行政の防災体制強化は、住民が一定の役割を担うことが前提だ。しかし、住民側にそれが認識されていない恐れがある」と、両輪がかみ合わない現実を指摘する。
防災意識を高めるには、どうすればいいのか。関係者の答えは、驚くほど一致する。「文化」としての継承であり、「教育」への期待である。
北国の家が、雪を落とすために屋根を傾斜させているように、被災地の家並みにも、揺れに対する備えが形として残ってほしい。暮らしの中に防災の心を自然に組み込んでほしい。渡辺さんは、それが文化だ、と強調した。
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来春、富士山のふもとに開校する富士常葉大学(静岡県富士市)に、全国初の「環境防災学部」が誕生する。災害だけでなく、さまざまな危機に対応できる専門家の育成を目指す。
新学長は、震災当時の兵庫教育大学教授で、県の復興計画や防災教育の推進にも加わった徳山明さんだ。
震災まで、地震への学問的アプローチは、地質を専攻する徳山さんもそうであったように、理学や工学が主流だった。だが、震災は、危機管理の欠如など、既存の社会システムが抱える課題を浮き彫りにした。枠を超えて対処しなければ、複雑に絡まる都市災害をとらえられない。
自然災害など突発の危機に対して、的確に判断できる人材を一人でも多く育て、社会に送る。震災で痛感したそのシステムのなさが、全国初の学部設置へ駆り立てた。
危機に備えた人づくり。米国の大学などでは既に取り組まれているが、その発想は、日本でもようやく芽生え始めた。=おわり=(4面に関連特集)
(社会部・小山優、中部剛、菅野繁)=おわり=
1999/9/24