阪神・淡路大震災の教訓は、五年近くたって、どう伝わったのか。答えを求めて、防災先進都市・静岡県を訪ねた。
県庁の一室に構える緊急防災支援室「SPECT」(スペクト)。米連邦危機管理庁(FEMA)の現地被害調査チーム(FAST)に倣い、震災の翌年四月に発足した。全国初の組織だ。
室長以下二十七人。県職員、警察官、消防士に加え、電力、ガス、電話、鉄道といったライフライン関係者が、予想される東海地震に備え、机を並べている。
平時は市町村の防災体制のレベルアップを図り、災害時には県内九カ所の災害対策支部に駆けつける。
緊迫した雰囲気を想像したが、何か余裕すら感じた。
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阪神の現場へ、当時の静岡県防災局長・井野盛夫さんが、国の要請を受けて入ったのは、発生の五日後だった。都市のもろさに目を疑った。兵庫県庁の災害対策本部に足を踏み入れると、地震に対する備え不足が、ありありと感じ取れた。
例えば、本部の設置場所。県の要綱では十二階だったが五階に変わっていた。庁舎が古い耐震基準だったため、十二階は水漏れなどで使える状態でなかった。
「本部設置ですらそんなありさま。備えがあまりにもできていない」。専門家の目には、そう映った。
それだけではない。自治体間の微妙な力関係や、知事の質問に即答できず苦慮する職員の姿を何度も見た。わずか三日間の応援中に、学ぶことは多かった。
当時、静岡県からは職員ら約千五百人が被災地に入り、復旧活動に励んだ。井野さんは、戻ってきた職員全員に体験を基にした地元での改善点の洗い出しを指示した。「三百日アクションプログラム」と名付けた防災の総点検。五百五十六項目にも及んだ。
SPECTはその一つ。ほか、衛星通信と地上系無線を使った災害情報ネットワークの構築、ハイテク防災船の導入などが並ぶ。神戸で課題となった避難所での相談窓口の設置もある。
マグニチュード8を想定する東海地震。予知がない場合で、死者二千五百七十人、全壊建物十五万五千棟という当初の被害想定が、これで大きく軽減できると踏む。
「あの規模の地震が静岡で起きても、兵庫ほど混乱しない。私たちには四半世紀にわたって取り組んできた実績がありますから」
幹部は、自信に満ちた表情で答えた。
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確かに、大地震に対して無防備状態だった兵庫県に比べると、格段の違いを感じた。システム以前の危機管理のなさが、六千四百人を超す犠牲者を出したという指摘もある。それを教訓に、全国の自治体は競うように防災体制を見直す。静岡は最先端を行き、形の上ではほぼ完ぺきなように映る。
「しかし、それで十分か」。兵庫県の斉藤富雄防災監は「多くの自治体から感じるのは、システムや組織への過信だ」と震災の反省から言う。安全や備えに対する油断と危機意識の欠如。静岡県ですら「いざの時、万全のはずの危機対応が隅々まで浸透するかどうか」と心配は消えない。
都市災害は、想像を超える複合的被害をもたらすことを、阪神・淡路大震災が教えてくれた。震災で何を失敗し、何が足りなかったのか。災害に強いまちづくりはもちろん、震災の反省点、課題を次の災害へ確実に伝え残していくことが、「防災の基本」でもある。
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「震災からのメッセージ」。今回のシリーズは、防災について考える。
1999/9/17