阪神・淡路大震災の翌年。初秋のころ、全壊した新甲南市場(神戸市東灘区)跡地を訪れた。建物の基礎だけが残る。商店主たちは傍らの仮設店舗で営業していた。
「負けるもんかという写真を撮らせてください」とお願いした。笑顔に勇気をもらった。
「がっちりスクラム組んで復興計画通りやろう。そう腹を決めたころでした」。石庭祥太郎理事長(60)は話す。
共同出資でビルを建てる。一階はセルフ方式のスーパーに。上階は分譲住宅にする計画だった。
一年後の暮れ、計画は「KONAN食彩館」となって実現した。売り上げ上々の好スタート。
「でも、慢心してたんですな」。数年後、売り上げは最盛期の三分の一に落ち込んだ。もうだめなのか。商店主らは頭を抱えた。
経営立て直しへ。もう一度、全員で腹をくくった。「自分たちがしっかりするしかない。お客さんに、この市場をもっと好きになってもらおうじゃないか」
それぞれが培ってきた仕入れの技術や、店の個性を生かす道を探った。少しずつ売り上げが伸び始めた。
「なんという十年やったやろ」。どの顔にもしわが深く刻まれ、白髪が増えた。ただ、不屈の笑顔には磨きがかかった。
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震災の傷跡が生々しいころ、街に復興の芽吹きを探した。あの時の風景の「今」を訪ねた。(写真部 三津山朋彦)
2004/10/14