肉親とわが家。震災は、その二つを納(おさめ)みよしさん(69)から容赦なく奪った。
震災当時は神戸市灘区のマンション「グランドパレス高羽」(十二階建て、百七十八戸)に住んでいた。五階の部屋は玄関ドアがゆがみ、ベランダの外壁に大きな亀裂が入った。
震災の四日後、夫の佳三さん(67)、長女のかおるさん(39)と三人で大阪市淀川区の親類宅に身を寄せた。大阪に避難する直前、神戸市兵庫区の実家を家族で訪ね、無事だった母の荒川スミさん=当時(90)、兄信夫さん=同(60)=と話した。
「もうちょっとがんばってね」。二人を気遣うみよしさんに、兄は「心配せんでええから」と言い、妹一家を見送った。
親類宅に到着した翌朝、兵庫署から電話があった。受話器を手にしたかおるさんが泣き声で告げた。
「おばあちゃんが、亡くなったって」
震災の揺れに耐えた実家で火災が起きたという。出火原因は分からなかった。大阪から何時間もかけてたどり着いた兵庫署では「焼死なので」と、二人の遺体は見せてもらえなかった。
「死に目に会えず、きちんとした葬儀もできず」。後悔の念が、みよしさんの心から消えなかった。
グランドパレスに一時的に戻ったのは、その年の夏。電気や水道が復旧してから、再び住み始める世帯が増えていた。その後、神戸・ポートアイランドの賃貸住宅を経て、今住んでいる神戸市須磨区の県営住宅に入ったのが、一九九九年。仮住まいのつもりだったそこでの暮らしが、七年を超えた。
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家族三人でグランドパレスに入居したのは、八〇年だった。同じ階の女性たちは、とりわけ仲が良かった。おすそ分けも当たり前。長屋のような雰囲気があった。
震災直後は、十二年たっても再建途上にあることなど、想像できなかった。建て替えか補修かで意見が割れ、建て替え決議まで二年、さらに裁判の決着まで六年かかった。その後、建て替え派の中から事業の進め方に反対する住民が現れ、一時こう着状態に陥った。
「一緒に帰ろうね」。そう話し合っていた同じ階の友人も、次々に戻ることをあきらめた。
母と兄を失った痛手と、進まないマンション再建。みよしさんの心は、ときに深く沈んだ。少しの揺れに敏感になり、震災後のつらい記憶が突然よみがえってくることもあった。
昨年、建物の解体前に部屋に入った。少しかび臭い室内。震災前に使っていた冷蔵庫やたんす…。「やっぱりここに住みたい」。涙があふれて止まらなかった。
しかし、来年再建されるマンションに戻ることは、難しい。残っていたローンは完済したが、戻るとなれば経済的負担は大きい。
昨年、建て替え事業のコンサルタントから戻るかどうかの意思確認があった。佳三さんが「帰りません」と答えた後、横にいたみよしさんは「帰りたい」とつぶやいていた。
「戻れないのは分かっているんです。でも…」
言葉にならない心の叫びを抱え続けた十二年。忘れられない「1・17」と、今年もまた、向き合う。
2007/1/17