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(3)商う 支え合い、にぎわい再び
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震災から10年後に建てられた「明石焼 志田」の店内=淡路市富島
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震災から10年後に建てられた「明石焼 志田」の店内=淡路市富島

震災から10年後に建てられた「明石焼 志田」の店内=淡路市富島

震災から10年後に建てられた「明石焼 志田」の店内=淡路市富島

 「富島の夜は東西の端から端まで飲み歩けた」

 「若仲(わかな)寿司」の大将、倉本和行さん(60)が、若いころの思い出を語る。旧道沿いに飲食店が並び、料理旅館が繁盛した。細い路地が何本も走り、持ち家や借家、長屋がひしめいた。「富島千軒といった。多いところでは、一本の路地の両脇に百人ぐらい子どもがいた」

 父は鮮魚運搬船に乗っていた。通称「生船(なません)」。九州の五島列島や天草、神戸阪神間を行き来した。「富島に生船百八杯といった。活気があった」

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 震災で自宅は壊れたが、無事だった店で営業を再開した。一九九八年四月に明石海峡大橋が開通し、地元商工会はオープンしたての北淡震災記念公園内に集合店舗を設けた。そこへ、大阪・高槻で修業していた長男光さん(37)が、すし店を出した。観光客の車が連なった。しかし、二〇〇〇年の淡路花博「ジャパンフローラ2000」閉幕後、にぎわいが去った。

 区画整理に伴い、「若仲寿司」は約三年間、仮設店舗で営業。〇六年三月、親子で新店舗を開けた。

 午後、夜の客用の仕込みが始まった店内。光さんが手際よく準備を進める横を、震災後に生まれた長男(8つ)が元気に駆け抜ける。

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 活魚料理店「いちじろう」の主、坂部行伸さん(53)は、震災のがれきの中から助け出した伯父が、病院に向かう車の中で息を引き取った。

 周囲は大変な状況だったが、町役場からの求めもあり、店の再開を急いだ。「二月一日。忘れへん」。復旧作業にあたる自衛隊員にビールを振る舞い、ボランティアに料理を出した。赤字だったが、気持ちの支えになった。数年前から長男(28)が一緒に働く。

 「明石焼 志田」の志田智恵子さん(62)は、もともと借地、借家で営業していた。震災後十年間、プレハブで続けた。

 「やめようか」と考えたとき、常連客や飲食店仲間の励ましが支えになった。「いつもだれかが後押ししてくれた」と感じている。

 現在、借金して買った土地に建てた小ぢんまりした新店舗で、明るい表情をふりまく。

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 富島を含め北淡地域の飲食店でつくる組合には震災当時、五十軒近くが加盟していた。現在、三十二。高齢で閉めた店が多いという。役員らは、富島の夜は静かになったと口をそろえる。

 商工会青年部の一員となった「若仲寿司」の光さんが言う。「美しい海と夕陽がある。常連さんを大切にし、観光客を呼び込む工夫が要る。自分らが住むまち。楽しくしたい」

 「いちじろう」の坂部さんが願う。「一軒だけではやっていけん。みんなで続けよう」

2007/1/16
 

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