阪神・淡路大震災が起きた1995年以前に生まれた生徒が2010年春、中学校からもいなくなるため、兵庫県教育委員会は、被災の影響で「教育的配慮を必要とする児童生徒」を対象に、心の健康相談などを担う「心のケア担当教員(旧・教育復興担当教員)」の配置を、2009年度で終える。手探りで始めた世界でも珍しい試みは、その後の災害被災地で参考にされるまでになった。元復興担当教員に取り組みを振り返ってもらい、その意義をあらためて探った。(霍見真一郎)
■安心 寄り添うだけで
芦屋市立宮川小学校の伊藤進二校長(56)は、配慮が必要な児童生徒の数がピークだった一九九六年度から四年間、復興担当教員を務めた。
「子どもに安心感、安全感を与えるのは、震災がなくても教師が当然やらなければならないこと。学校の根幹部分だ」と話しつつ、当時「心のケアという言葉によって、もう一度、根幹を見直すよう突き付けられた」という。
震災の時は五年生の担任だった。「元気づけよう」「楽しい雰囲気にしていかなければ」とは思っていたが、「ケア」という自覚はなかった。考え方が変わったのは、臨床心理学者の故・河合隼雄さんの言葉に触れてからだ。
「何も言わなくていいから、子どものそばに寄り添っていなさい」
幼稚園の時、被災した女児は登校中、突然、道端に座り込み「今、地震が起こったらお母さんと離れ離れになる」と泣きじゃくった。「大丈夫」と言い聞かせ、母親に来てもらった。教室に入れない男児の隣で、一時間以上アリを眺めていたこともあった。「このアリ、どこへ行くんやろな」と語り掛け、男児のこわばった心を解きほぐした。
二〇〇四年の新潟県中越地震では、「震災・学校支援チーム(EARTH)」の一員として被災地へ。
現地の教員には、児童生徒がかわいそうとの発想が強かったが「(児童生徒と)一緒に頑張って少しずつ日常に戻そう」と訴えた。
▼配慮要因実態調査 「恐怖感」減るも経済問題は深刻
兵庫県教委は1996年度から毎年、震災で精神的に不安定な状態になり、教育的配慮が必要な子どもの実態調査を進めてきた。同年度から2001年度までは3000人以上もいた「配慮が必要な児童生徒」は年々減り、震災14年目の08年度調査では169人だった。
ケアが必要な状態に陥った要因については、「震災の恐怖」が占める割合が低下する一方、「経済環境」は上昇した。
県教委は「震災の恐怖は、成長とともに言葉で表現するなどして整理していったと考えられる」と分析。一方、経済や住宅環境は「解消が難しい問題」で、今も児童生徒に影響を与えているのではないか-とみる。
2008/12/28