「高速道路の地震対策はどうなっていますか」
そう尋ねられ、神戸大学工学部教授だった山田稔(81)は思わず口ごもった。1987年11月、大阪市で開かれた高校生向けの科学教室。質問は単純だったはずだ。
少し悩んだ後、「外国に比べると、安全面では進んでいると思います」と答えた。本音は違った。高速道路の地震対策が後手に回っていると感じていた。「建築の立場で土木の分野に口を出していいか」。そんなためらいがあった。
日本では耐震構造の研究者は、大きく二つの学会に分かれる。一般家屋や学校を対象とする「日本建築学会」と、道路や橋を対象とする「土木学会」。それぞれで耐震基準の導き方が異なり、意見を述べあうことはまれだった。
山田は68年の十勝沖地震の被災地を調査し、太くて短いズングリ型をした鉄筋コンクリート製の柱は、揺れに弱い一面があることを突き止めた。「今の基準では巨大地震に耐えられない」。柱の耐震性アップの訴えは、81年の建築基準法の改正に反映された。
兵庫県は87年、「地域防災計画 震災対策計画編」を策定し、県内「56」の活断層を明示した。山田は県防災会議地震対策部会の審議委員も務めている。神戸・阪神間の高速道路の地下付近には、いくつかの断層が延びていた。
「建築と土木の学会同士が意思疎通し、もっと想像力を働かせていれば、違う結果になったかもしれない…」
大動脈を支える柱は、山田が警告した構造に酷似していたという。
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93年12月10日、西宮市の本会議場。一般質問に立った議員の故・富井雄司が、道路などの耐震強化を訴えていた。
土木局長の平尾進一(74)が「活断層の危険性には諸説がある」と答えた。「それは20年前の話だ」と富井。市内の断層調査を進めた大阪市立大名誉教授で構造地質学の第一人者だった故・藤田和夫らから聞き取りを重ねていた。
平尾はこう答弁をまとめている。「建築基準法や道路法に基づく道路設計仕様書などにより(略)安全が確保されていると考えている」
それは「信用している」という意味だったという。富井の追究に同調する議員はなく、その後も西宮市は、耐震性について阪神高速道路公団(現・株式会社)や国に直接、問い合わせることはなかった。
学術界も行政も“畑違い”の分野には積極的に入っていこうとはしなかった。
翌94年には死者61人を出す米国ロサンゼルス・ノースリッジ地震が起き、高速道路が倒壊する。土木学会の学者らは「日本は大丈夫」と胸を張った。だがその1年後、阪神高速は土煙をあげて崩れる。16人の命が奪われ、31人の重傷者が出た。
建設省(現・国土交通省)は阪神・淡路大震災直後の報告書で、倒壊の原因を「設計時の想定を上回る地震力」と結論づけていた。「起こりえない」との仮定から抜け出せずに起きた大惨事。それは東京電力福島第1原発事故とも共通する「安全神話の落とし穴」だった。
97年、遺族は「事故は予測された地震に対策を怠った人災」として道路公団を相手に国家賠償請求訴訟を起こした。証拠資料に地震学者らの断層研究を添えた。(敬称略)
2012/1/18