連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

(9)原子力災害対策(上) 存在しなかった避難計画
  • 印刷
2011年3月14日現在の「SPEEDI」による被ばく予測の一つ。福島第1原発から北西に放射性物質が広がる。原子力安全委員会による公表は同23日以降だった
拡大

2011年3月14日現在の「SPEEDI」による被ばく予測の一つ。福島第1原発から北西に放射性物質が広がる。原子力安全委員会による公表は同23日以降だった

2011年3月14日現在の「SPEEDI」による被ばく予測の一つ。福島第1原発から北西に放射性物質が広がる。原子力安全委員会による公表は同23日以降だった

2011年3月14日現在の「SPEEDI」による被ばく予測の一つ。福島第1原発から北西に放射性物質が広がる。原子力安全委員会による公表は同23日以降だった

 「爆発音です。きのこ雲が上がってます」

 東日本大震災の発生から3日後の3月14日午前11時ごろ、駆け込んできた警察官が叫んだ。福島県南相馬市役所2階に設けられた災害対策本部。会議中の約30人は言葉を失って静まり返った。

 庁舎から南方25キロの場所に「東京電力福島第1原発」がある。2日前の1号機の水素爆発に続き、3号機までもが爆発した瞬間だった。

 市議の小川尚一(56)が「もう駄目だ…」と足を震わせた。職員が県に問い合わせると、「事実確認ができない」との答え。逐一、原発の情報を得ようにも、地震と津波で通信網がやられ、外部とつながるのは衛星携帯電話だけだった。「県を信じるしかない」

 その11時間後。次は災害支援の自衛隊員たちが庁舎に現れ、「放射能が来る。100キロ以遠に逃げろ」と声を荒らげた。防災安全課長の大和田寿一(57)が窓の外を見詰める。100人を超える隊員を乗せた車列が、サイレンを響かせて庁舎から離れていった。

 「それからです。自衛隊の動きが庁舎内に避難していた住民から各地に広がり、一瞬にして大パニックになった。住民の大移動が始まった」

 市長の桜井勝延(56)が県に「自衛隊が出て行ったがどういうことか」と問い合わせるものの、回答は再び「そのような事実はない」。だがその時、県はあるデータを確認しながら公表しなかった。

 放射性物質の広がりや濃度を予測する国のシステム「SPEEDI(スピーディ)」。県の災害対策本部にいた原子力安全対策課主幹の片寄久巳(58)が証言する。「国からファクスでデータを送ってもらっていたが、国が公表していると思っていた。こっちは事故の情報収集でそれどころではなかった」

 片寄が、ひっきりなしに鳴り続ける市町村からの電話対応に追われる中、南相馬市の住民たちは、北西寄りの風に乗って放射性物質の濃度が濃くなる内陸部に向かって、何も知らずに進んでいった。

    ◆

 南相馬市の住民らが原発事故で避難できるルートは限られていた。

 東は太平洋、南は原発、北は津波で壊滅的被害を受けた沿岸部の街が広がる。内陸の福島市方面に向かう「西」しかないが、山越えのルートが数本しかなく、渋滞は避けられなかった。

 そもそも、福島県の避難計画に南相馬市は含まれていなかった。

 県は阪神・淡路大震災を受け、主に三つの断層による直下地震に備えた地域防災計画をつくっていた。沿岸北部を縦に走る「双葉断層」が動いた場合は震度6強の揺れが起きるとしながら、被害予測にはこんな記述もある。

 「地震によって原子力災害が発生することはないと考えられるが、発電、送電が停止した場合、(中略)首都圏への電力供給が停止され、国内外の社会経済活動に大きな混乱が引き起こされる」

 放射能の記述はない。さらに、海溝型地震による原発の津波被害もないとされていた。

 地震や津波以外の原因で原発事故が起きたとしても、国の指針に沿って「防災対策を重点的に充実すべき地域」は約8~10キロと限定していた。

 南相馬市を含む10キロ圏外の市町はいずれの場合も「安全」とされ、避難計画さえ描かれていなかった。

 それでも大和田が打ち明ける。「危機感が全くなかったわけではないんです」(敬称略)

2012/1/23
 

天気(9月8日)

  • 33℃
  • ---℃
  • 40%

  • 33℃
  • ---℃
  • 50%

  • 34℃
  • ---℃
  • 20%

  • 34℃
  • ---℃
  • 40%

お知らせ