東京・永田町にほど近い「全国都市会館」。冬晴れの朝、7階建てのビルに、地震や津波の専門家が次々に吸い込まれていく。
2004年2月19日午前10時半。東北地方太平洋沖を震源とする地震被害を検討する中央防災会議の専門調査会第2回会合が始まる。結果的に東日本大震災を迎え撃つ格好となった想定論議は、くしくも阪神・淡路大震災前、神戸市の防災計画で残した「悔恨の構図」そのものだった。
大地震が起こる場所や規模を予測する国の「地震調査研究推進本部(地震本部)」。その委員を発足から16年にわたって務め、専門調査会の委員にも選ばれた東大名誉教授の島崎邦彦(65)が証言する。
「阪神・淡路の教訓でできた組織なのに、無視されたんです」
阪神・淡路前、地震学者らは活断層を調べ、巨大災害の警鐘を鳴らしていた。だが、「過去に記録がない」「いつ起こるか分からない」ことが、行政を動かすまでには至らなかった。だからこそ、中央防災会議は地震本部の知見に期待していたはずだった。
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専門調査会の委員11人が長机に座り、用意された資料に目を通す。座長に促された事務局の職員が「一番大事なポイント」と断り、説明を終えた時、島崎は当惑していた。
想定候補となる地震が三つに分類された。①繰り返しが確認されている地震②繰り返し性はないが、歴史的に大きな被害をもたらしたことが確認されている地震③繰り返し性も、大きな被害も確認されていない地震-。
「3番目の地震は蓋然性(がいぜんせい=確度=)が低い。検討対象としないのが適当と考えました」
事務局案は、かつての神戸市がそうだったように、「未知の大地震」を想定から除くことを意味していた。
地震本部はその1年半前の02年7月、東北地方太平洋沖のどこででも、死者が2万人以上出た「明治三陸地震」に相当する津波地震が起きる予測を公表していた。発生確率は30年間で20%と低いが、事務局の考え方では、福島沖から茨城沖にかけてのエリアが完全に省かれてしまう。
ぼうぜんとする島崎をよそに、1人の委員が核心を突いた。「福島、茨城でも発生可能性としてはある。まれに起こる巨大災害を一切、切ってしまうことを覚悟しなければいけない」
これに事務局職員が答えている。「いわゆる為政者としての一貫性を持つべきであろう、ということで線を引いてみたわけです」。主導権は行政側にあることを暗に示していた。
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島崎は、東京電力福島原発への配慮があったと推測する。地震本部が津波予測を発表する5カ月前、土木学会は原発の設計に役立てるための「津波評価技術」をまとめていたが、そこからは中央防災会議と同じように、解明途中の不確かな地震は排除されていた。
「津波対策が問題になり、原発の稼働に影響が出るのを懸念したのではないか」と島崎。神戸新聞の取材に対し、中央防災会議を所管する内閣府は「(議事がどうであれ、最終的にまとまった)報告書の内容がすべて」とだけ答えた。
だが、会議冒頭に示された事務局の考え方こそが、その後の議論を形作っていった。(敬称略)
2012/1/20