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(10)原子力災害対策(中) 原発議論より合併優先
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合併に伴い、原発への姿勢が相反するまま発足した福島県南相馬市議会。今、原発事故後の対応に追われている=2011年12月13日、南相馬市役所
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合併に伴い、原発への姿勢が相反するまま発足した福島県南相馬市議会。今、原発事故後の対応に追われている=2011年12月13日、南相馬市役所

合併に伴い、原発への姿勢が相反するまま発足した福島県南相馬市議会。今、原発事故後の対応に追われている=2011年12月13日、南相馬市役所

合併に伴い、原発への姿勢が相反するまま発足した福島県南相馬市議会。今、原発事故後の対応に追われている=2011年12月13日、南相馬市役所

 1999年9月30日、茨城県東海村の核燃料加工施設「ジェー・シー・オー(JCO)」で臨界事故が起き、作業員2人が死亡、住民ら600人余りが被ばくする。国内初の死者が出た原発事故は「原発立地県」に波紋を広げる。

 福島県南相馬市の前身「原町市」。市長だった渡辺一成(68)は、就任の2002年4月以降、国の指針にある避難計画の策定区域「8~10キロ」を「30キロ」に拡大するよう県に再三求めてきたが、「現状で構わない」との回答は相変わらずだった。

 東京電力福島第1原発から30キロ圏内にある市に避難計画はない。臨界事故を受け、どのように住民を避難させるか、計画すべきと考えていた。

 市は苦肉の策として、「県の指針に沿う」との1行しかなかった防災計画の「原子力災害対策」に、「放射線の測定および健康診断の実施を県に要望する」との2行を付け加えた。防災担当だった職員高野真至(41)は「3行が精いっぱい。それ以上書き込むと県に止められる恐れがあった」と証言する。

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 福島第1原発のある双葉町議会が91年、原発増設を決議したことに対し、安全性への不安から「反対」を貫いてきた原町市。だが06年1月、近隣の2町と合併して南相馬市となって以降は影を潜めていく。

 資料や証言から関係者の苦悩がうかがえる。

 04年6月、3市町の合併協議会から原町市議会に持ち帰られた「協定項目案」を見て、市議だった小武海(こぶかい)三郎(69)は「なんでうちが折れなくちゃいかんのか」と不快感を示した。

 「電源立地については、新市においても引き継ぐ」とあった。発案したのは南隣の「小高町」。約30年前から「雇用を生み出せるのは原発しかない」として、東北電力の原発誘致計画を進めていた。(※写真=誘致に賛成か反対か-。合併に伴い、原発への姿勢が相反するまま発足した福島県南相馬市議会。今、原発事故後の対応に追われている=2011年12月13日、南相馬市役所)

 同月14日、原町市議会は紛糾した。小武海が「反対の意思を明確に表明すべきだ」と口火を切る。2年前には東京電力による原発の検査記録改ざんが発覚。市議から「誘致するなら合併は認められない」との意見が続いた。

 現・南相馬市議会議長の平田武(63)は原発誘致には慎重ながらも、危機感を覚えていた。「合併の前提条件として原発誘致が駄目ということになれば、合併否決ということにもなりかねない」。冷静な議論を呼び掛けた。

 結論を出す期限は迫っていた。国から有利な財政措置が受けられる合併は、現実的な選択だった。原発誘致問題は、結局「条件付き」で収まる。「現行のとおり引き継ぐが、電力需要および社会環境の変化を踏まえ(中略)関係機関と検討していく」。玉虫色の決着だった。

 昨年2月、南相馬市役所を東北電力の社員が訪れる。集まった市議たちに、小高町が誘致に努めていた「浪江・小高原子力発電所」のパンフレットが配られた。

 原発誘致が再び動き出した直後、大震災が起きた。

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 兵庫県は01年3月、原発の10キロ圏外の自治体では初の「原子力等防災計画」をつくる。備えが至らなかった阪神・淡路大震災を教訓に、JCOの臨界事故を受けて動いた。

 だが、主な想定は「放射性物質運搬中の事故」。最も近い福井県の関西電力高浜原発から県境まで約40キロ離れているため、原発事故対策は国の指針を踏まえて「情報収集」にとどめられた。(敬称略)

2012/1/24
 

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