公園の真ん中で根を張るクスノキはさらに伸びた。片隅に立つ「絆」の慰霊碑が、激震と命を落とした人たちを伝えている。
阪神芦屋駅の北西にある芦屋市津知町の津知公園。周辺は阪神・淡路大震災で9割以上の建物が全半壊し、「西部第二地区」として区画整理された。津知公園では震災後、住民約150人がテントで暮らした。
その公園で10月下旬、自治会の防災訓練があった。集まった多くは新住民。消防車の前で記念撮影するよちよち歩きの子を見守る両親の笑い声が響いた。
「子育てにはぴったり。高い建物がないので町が明るく感じますね」。2歳と4歳の姉妹をあやす藤井早織さん(33)は2年前に引っ越してきた。「正直、震災のことはよく知りません。被害は想像できません」
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建物の全半壊率が85%以上に上り、土地区画整理を終えた芦屋市の中央、西部第一、西部第二の3地区。震災前は3地区の人口は約5千人だったが、震災後の1995年12月は4100人と約900人減少した。このほか、住民票を移さず街を離れた人も多かった。
区画整理事業は長期化したが、3地区の人口は2015年に9割弱に戻り、中央、西部第二地区はほぼ震災前の水準に戻った。歩調を合わせるように、周辺の公示地価は9年連続で上昇し、19年は西部第二の川西町で1平方メートル当たり38・5万円。高級住宅地で知られる神戸市東灘区西岡本5(39・3万円)に比べても遜色がなかった。
「らしくない区画整理をやってやろうと考えた」。西部第一地区の街づくりに尽力した真照寺住職の仲邑秀明さん(66)=清水町=は振り返る。事業を一方的に突きつけた行政への反発が原動力となった。あえて見通しを悪くした交差点や細い道を提案し、震災前のような住民の交流も復活させようと試みた。「苦渋の決断」を飲み込み、住民が街の将来を描いたと自負する。
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それでも、区画整理の受け止めは人それぞれだ。
「もっと広い道がよかった、と不便に感じる人がいる。住民も世代交代した」。西部第一地区で工務店を営む藤野春樹さん(67)=前田町=は苦笑し、住民の対立と葛藤を思い出す。
震災から1カ月で、市に「みんなで街づくりを」と懇願された事業。失意の中で決断を迫られた人たちと、今の街並みに引かれる人たち。残った住民と去った住民。あれから25年。街の再生は誰のためだったのだろう。(名倉あかり)
=おわり=
2019/12/6