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阪神・淡路大震災から間もない東京海上火災保険神戸支店=1995年1月ごろ、神戸市中央区海岸通(児島正さん提供)
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阪神・淡路大震災から間もない東京海上火災保険神戸支店=1995年1月ごろ、神戸市中央区海岸通(児島正さん提供)

阪神・淡路大震災から間もない東京海上火災保険神戸支店=1995年1月ごろ、神戸市中央区海岸通(児島正さん提供)

阪神・淡路大震災から間もない東京海上火災保険神戸支店=1995年1月ごろ、神戸市中央区海岸通(児島正さん提供)

 阪神・淡路大震災の発生から10日後、東京海上火災保険(現東京海上日動火災保険)の神戸支店は営業を再開した。ライフラインの復旧で、2月初めには暖房や水洗トイレが使えるようになり、最低限の業務環境を取り戻すことはできた。取締役支店長だった瀬尾征男(ゆきお)(80)=東京都中野区=は、阪神・淡路大震災の教訓をまとめた「オーラルヒストリー」で、非常時を乗り切るためのポイントに言及している。

 -何が大切か。リーダーは重要だなと。それから、情報がないと本当に何もできない。それから現場が第一。現場から立脚したアイデアがないと、(現場から遠い)本社が考えて良いアイデアが出るわけがない。

 被災地に生々しい傷痕が残る中でも、瀬尾は関係機関に手を差し伸べることを忘れなかった。神戸市には「何か助けられることがあればやります」と申し出て、本社から医師、看護師らを小学校に送り込んだ。自社の代理店には被災した社員が暮らすための仮設住宅も提供した。

 一方、非常事態下であっても企業としては、年度末までに営業目標を達成しなければならなかった。震災のハンディであきらめかけたが、代理店側が「お世話になった」と積極的な営業活動を展開し、目標に手が届いた。瀬尾は「当たり前のことをちゃんとしていればいい」と振り返る。

 被災者が自社の契約者であれば、代理店などが安否確認に向かう。その際に、「数日分の飲食料や衣料などを入れた袋を手渡して、少しでも不安を和らげられたら」と今になって思う。物資を安定的に調達するため、地元のスーパーなどと事前に提携しておく手もあった。

 -そういうことを常にやっていくと、本当に命を助けることになるんじゃないか。保険は売らなくてもいい。ネットワークをどんどん作っていけばいいと提案している。

 「震災で人の優しさに気付いた」。神戸で多くの被災者からこんな声を耳にした。自分の命は自分が守らなければ、誰も守ってくれない。しかし一人では生きられないから、仲間は欠かせない。輪が広がるほど危機に対して強くなれる。

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 最大震度7の震災に直面した瀬尾は、発生から約1週間は興奮して血圧が上がり、不眠に近い状態に陥った。大阪の病院に行き、睡眠薬と精神安定剤を処方されると、寝付きは良くなったが、リーダーには健全な体力が不可欠と痛感した。「責任者は居場所を明確にして座っていると、周りの社員も動きやすくなり、仕事をしてくれた」という。

 危機管理が必要なのは、リーダーの健康面だけではない。東京海上は拠点を全国展開しており、神戸支店は本社や他の支店から協力を仰ぐことができた。結果的にリスクは分散され、神戸を地盤とする企業ほどのダメージを受けなかった。

 逆に、一極集中が進む東京で大規模地震が起きる恐れもある。気候変動が原因とみられる台風や豪雨なども多発しており、いつどこにいても被災リスクにさらされている状況といえる。それだけに「誰もがそれぞれの現場でリーダーシップと決心、実行を迫られる」と瀬尾は口にする。オーラルヒストリーにもこんな言葉を残している。

 -人間がいれば、あとは何でもできる。人を救うために何をするか、それが最優先。金が掛かろうが、いかにスピードを持ってやるか。その時に考えたのでは遅い。平時にどれだけやっておけるか。一人一人が自分で考えること、これがなかなか難しい。=敬称略=(佐伯竜一)

※ヒストリーは抜粋。一部加筆しています

2020/1/8
 

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