「なんで住める家を壊さんといかんのか」
阪神・淡路大震災から約1カ月後。電柱に掲示されていた神戸市の都市計画案を見て、佐藤博史さん(75)は怒りがこみ上げた。
被害の大きかった同市灘区の六甲道駅南地区。自宅のある備後町は、一方的に事業区域にされていた。
ローンを組んで新築してから1年余りだった鉄骨造りの家は激震に耐え、一部損壊で済んだ。だが、それまで暮らした隣の琵琶町の母親宅はがれきと化した。
復興再開発で、備後町の家は高層ビル建設のため解体される。琵琶町の土地も一部は、区画整理で公園や道路を造るため提供させられる。「狭小地は担保価値が下がり、再建資金を金融機関から借りられなかった」
都市計画案の説明会は、反対の大合唱だった。地区住民が市側に出した意見書は四百数十件。権利者894人の半数を超えた。
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「大変なことになる」。後に再開発事務所長に就く倉橋正己さん(70)は思った。事前の自治会長らへの説明では「短期間でようやってくれた」と言ってもらえた。だが、新築や改築をしてわが家を守った人の反発は想像以上だった。
倉橋さんは長く民間施行の再開発を担当し、住民との話し合いは当然と考えてきたが、震災では協議を抜きに、法的に必要な具体案を示さざるを得なかった。「きれいなビルや公園の絵が、全て決まっているように思わせてしまった」
われわれが汗をかくしかない-。住民が地区に残れるよう、仮設住宅の建設を急いだ。まちづくり協議会の設立を働き掛け、専門家を派遣。役員会を毎週のように開くため、資料作成と事前説明に精力を注いだ。
佐藤さんはまち協の会長として、都市計画を一から学び、「住民集会の決定は後戻りさせない」と決意した。家も仕事もなくし、老いを迎える人たちが周囲にいた。再開発を進めるのは「苦渋の選択だった」。
市側も大規模な防災公園は譲れなかったが、住棟の高さや配置、維持管理費が抑えられる設計など住民の要望と柔軟に向き合った。
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平時から住民と行政が街の将来像を話し合う「事前復興」は理想的だが、壁は高い。復興事業を巡る摩擦は「宿命かも分かりません」と倉橋さんは言う。
佐藤さんは琵琶町で再建する道を選び、再開発ビルの住戸は手放した。地区外に出た住民も多く、街はばらばらになったと感じる。どうすれば地域を再生できるかが気にかかる。「建物ができたら終わりのようで。それは行政の役目ではないのかもしれんけど」
2020/1/29