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ケミカルメーカーを畳み、喫茶店を営む陳さん夫婦。気づけば、喫茶の経営の方が長くなった=神戸市須磨区千歳町1(撮影・鈴木雅之) 神戸新聞NEXT
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ケミカルメーカーを畳み、喫茶店を営む陳さん夫婦。気づけば、喫茶の経営の方が長くなった=神戸市須磨区千歳町1(撮影・鈴木雅之)

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 神戸市須磨区の千歳地区はかつて、街全体が一つの工場だった。

 同市長田区を中心に栄えたケミカルシューズ産業。靴作りには50近い工程があり、隣接する千歳でも分業体制が広がっていた。

 資材の加工や裁断、縫製、製品用の段ボール製造…。長屋には下請け業者が連なった。「ダダダダッ」「ガチャンガチャン」。ミシンや裁断機の音が工場の壁をふるわせ、路地裏にも靴箱があふれた。

 阪神・淡路大震災の前から喫茶店リバティールーム・カーナを営む岡本美治さん(78)は最盛期を振り返る。「お得意さんは靴関連。コーヒーを出前すると、作業の手を止めずに『そこ置いといて』って言われてね」

 多い時で1日100杯以上。「ここがうちの応接室」と、取引先を店に連れてくる経営者もいた。

 震災で母から継いだ店は全焼。直後から、焼け跡でコーヒーを無料で振る舞った。「お世話になった地元に恩返ししたかった」

 そして、今。世帯数は93から30ほどに減り、売り上げも震災前の8分の1まで落ち込んだ。「きれいになったけど、あのにぎやかさが懐かしい」

   ◇   ◇

 震災後の火災で建物の約9割が焼失した同地区。炎は家だけでなく、近接する仕事場ものみ込んだ。

 「みんなが被災者だった。取引先や張り子、ミシン工…。皆いなくなった」

 陳栄一さん(71)、周珍英さん(69)夫妻はケミカルシューズメーカーを営んでいた。工場は全焼。灰が舞う跡地を前に、人目もはばからず号泣した。

 事業再開に必要な費用は1億円以上。新築から1年で焼けた自宅はローンだけが残り、工場再建を断念せざるを得なかった。スクールに通って学び、2003年に喫茶店ル・デパールを開業。「毎日必死。気づけば、もうそんなにたったのかという感じ」

   ◇   ◇

 長年、メーカーを営んできた東田春男さん(75)は焼け跡で踏ん張った。

 1月17日朝、南西の鷹取地区で火災が発生。近くに避難していた東田さんは、数十センチの火の玉が飛んでくるのを見た。自宅は全焼し、写真1枚残らなかった。

 工場も被災したが、唯一焼け残った4階を補修し、4月には仕事を再開。18年に工場を畳むまで続けた。

 取引先や仕事仲間は次々とタクシー運転手などに転職していった。安価な輸入品との競争やデフレ不況にさらされ、震災前の売り上げには戻らなかった。

 「何がつらかったとか、覚えてない。生きるために続けた。靴しか知らんかったから」(末永陽子)

2020/2/25
 

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