
赤地に白でKを描いた川崎汽船のマーク。約100年たった今も受け継がれている=2015年7月、神戸市中央区新港町(撮影・笠原次郎)
1918(大正7)年11月27日の朝。三ノ宮駅前に、神戸市長の鹿島房次郎ら政財界人が集まっていた。人垣の中心に「船舶王」の姿があった。鈴木商店の番頭金子直吉の盟友で、川崎造船所(現川崎重工業)社長の松方幸次郎(まつかたこうじろう)。ロンドンからニューヨーク、横浜を経て2年8カ月ぶりに凱旋(がいせん)した。
松方の心中は穏やかではなかった。産業界が活況に沸いた第1次世界大戦は、半月前に終わっていた。戦争の終結とともに船の価格は暴落。受注前に船を建造する「ストックボート方式」で、大量の船を抱えた川崎はピンチに陥った。復興需要がある欧州に売却すれば損失は回避できるが、松方の考えは違った。「外国の海運会社を助けるだけだ。日本に新たな海運会社をつくり、海運力を底上げしよう」。翌年4月、新会社の川崎汽船が営業を始めた。(高見雄樹)
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