海外の良書紹介に使命感/翻訳は「楽しい散歩」

 米国のライト兄弟が世界初の有人動力飛行に成功したのは今から120年前、1903年12月17日のことだ。人類史に残る栄光を手にした兄弟だったが、特許権をめぐる訴訟を次々と起こし、次第に孤立を深めていく。そんな兄弟の知られざる生涯に迫った伝記「ライト父子伝」が先ごろ邦訳出版された。出版不況の中、600ページを超える原書の完訳から出版までを手がけたのは神戸在住の翻訳家、織田剛さん(57)。事務所を訪ね、その熱い思いに触れた。(仲井雅史)

 ー大空を飛ぶ。人類の大きな夢ですね。

 「もともと飛行機にあこがれがあり、大学ではグライダー部に所属しました。千葉県にあった滑空場で教官の厳しい指導を受けながら操縦を練習して。日中、気象条件さえ良ければトンビのようにいつまでも飛んでいることができるんですよ。でも、空を飛ぶことはあくまで個人の楽しみかなと思って。社会に役立つことをしようと、流体力学の技術者の道を選びました。日本版スペースシャトルの『HOPE』開発計画で関連の仕事もしました。コンピューターを使った数値計算で最適解を見つけ出すんです」

神戸市西区

 ーこれまでも航空技術についての歴史書を翻訳されていますね。

 「飛行機開発などに応用される空気力学がどのように発展してきたのかに興味があったのですが、技術史は論文に断片的な引用があるだけで調べるすべがなくて…。そんな時、勤め先の海外出張中にたまたま立ち寄った書店で、ジョン・D・アンダーソンJr.が書いた『空気力学の歴史』を見つけました。ちょうど海外留学を目指して英語の勉強を始めていたのでこつこつと訳し始めたんです。これが面白い。単なる技術史ではなく、いかに空気抵抗を抑え揚力を増すかについて研究し続けた人たちの生きざまも書かれていて。この道を目指す学生に読んでほしい、伝えたいなって思うようになったんです。日本語訳がなかったので企画書を出版社に持ち込み、2009年に形になりました」

 「その後、年齢を重ねて人間関係などを意識するようになってきたせいか、興味の対象が専門的な技術から人へと広がっていきました。技術者は何が正解か分からないと不安になり、ぶれて収拾がつかなくなってしまうんです。ところが、ウィルバーとオービルのライト兄弟はわずか4年半で、初の有人動力飛行機開発を成功させています。驚異的です。なぜ兄弟はこれほど早く、飛躍的な進歩をとげることができたのか。長い間、気になっていました」

 ーそれで今回の「ライト父子伝」の邦訳に取り組むことに?

 「米国人の著者、トム・D・クラウチは歴史学が専門で本書もいわば伝記です。1989年の刊行で海外では知られているのですが、日本では出版されていませんでした。ライト兄弟は日本では実像があまり知られておらず、飛行機を発明したとの誤解もあります。本書は兄のウィルバーの人格形成に大きな影響を与えた一徹な父親、ミルトンから書き起こしています。ウィルバーはうつ病でひきこもり状態に陥り、有人動力飛行の成功が苦境からはい上がる手段と思っていました。ヒーローでは終わらない、生身の人間の物語なのです。後に特許権の侵害を訴え、孤立していく姿も描かれています」

「ライト父子伝」。購入はインターネット通販のアマゾンで。3980円

 ーライト兄弟の成功を支えたものは何だったと思いますか?

 「彼らは力学的観察力に優れていました。素晴らしいのは飛行制御の発想です。ライバルたちは水上を進む船のように飛行機を水平に維持し、尾部の方向舵(だ)を使って旋回する方法を追究していました。ところが、ライト兄弟は左に旋回するなら機体を左へ傾ける操縦法を思いついたのです。自転車の操作と同じです。彼らは自転車販売で成功していたので、その経験が生きたのでしょう。技術的にいうと機体をロール(横転運動)させる『たわみ翼』を発明し、それが現代のエルロン(補助翼)につながっていくのです。また、自転車販売で経済的にも恵まれていたので、スポンサー探しに力を割く必要がなかった。そして何と言っても、対等にとことん議論するチームであったことが背景として挙げられるでしょうね」

 ー兄弟の姿に、私たちが学ぶべき点があるように思います。

 「これは過去の物語ではありません。ライト兄弟は、文献を調査して公式を選び出し、翼の表面積などを数値計算してはじき出した予測性能値を基に試作機を製作します。そして飛行実験で得た実測値と対比し、さらに風洞実験によるデータを積み重ねて試作機を改良していく。この試作、実験、改良のサイクルは現代の開発と同じです。ただ、現代は分業が進んでいるので開発者が実際にテスト飛行をすることはありません。彼らは自ら操縦して経験や感覚をそのまま改良に結びつけ、反映しました。コンピューター上ではなく、自分の『手』を使ったものづくりだったのです」

 ーそれにしても、飛行経験がある翻訳者というのは珍しいのでは?

 「グライダーを操縦した経験から、彼らが直面した問題が実感できました。5年ほどかけて完訳したのですが、600ページを超えるボリュームでは、どこも相手にしてくれなくて…。伝記なら分量は400ページ、価格は3千円未満とアドバイスされたことも。著者や原著の出版社と連絡を取り合い、仲介会社の協力もあってなんとかオンデマンド印刷、電子書籍化にこぎ着けました」

 ーなぜ、そこまでして出版されたのでしょう。

 「50歳を過ぎて合同会社という形で独立し、今は特許権の翻訳が主な仕事です。その分、書籍には締め切りがなく『いつか完訳できるだろう』という気持ちでいたので、続けてこられたと思います。翻訳は『楽しい散歩』なんです。背景が知りたくなり、どんどん調べていくと『へえ、そうだったのか』と発見がある。こうした知識が訳文を補強していくのです。邦訳されていない海外の良書は潤沢にありますが、採算がとれないから対象からはねられている。だからこそ、日本に紹介する使命感のようなものを感じています。後世に残る仕事ですからね」

 【おだ・つよし】1967年北海道生まれ。京都大大学院修了。京都工芸繊維大大学院で博士号(工学)取得。神戸製鋼所を経て2020年、合同会社で織田春風堂設立。訳書に「飛行機技術の歴史」など。