日本レコード大賞に2度輝き、コンサートや劇場公演の観客動員数2千万人を超える歌手の五木ひろしさん(76)が、「生涯忘れられない」と振り返る一日がある。

 1995年5月27日。阪神・淡路大震災で壊滅的な被害を受けた神戸市長田区の大正筋商店街。焼け跡に設置されたステージで歌った日のことだ。

 商店街振興組合の依頼を受け、開いた無料のコンサート。会場入りした五木さんは「本当に人が集まるのか」と疑問に思った。激震からまだ4カ月余り。長引く避難所暮らしに、被災者の疲れは色濃い。いまにも崩れ落ちそうな建物など、街には地震の爪痕がそのまま残っていた。

 だが、ステージに上がると、8千人もの被災者が青空の下を埋め尽くしていた。会場からあふれた人たちが、歌声を聴こうと会場を取り囲む。

 マイクを握り「汽笛」を歌い始めたとき、五木さんは思わず目頭を押さえた。

 「お客さんの雰囲気を見て、もう泣けてしまったんですね。詰まって歌えなくなってしまった。めったにそんなことはないんですけど。そしたら前のお客さんが『頑張って』って。励まそうとして来たのに、逆に励まされたんです」

震災4カ月後に開いたコンサート。13曲を熱唱した=1995年5月27日、神戸市長田区、大正筋商店街

 「よこはま・たそがれ」「長良川艶歌」…。13曲を披露する中で、観客も心を動かされて涙を流した。

 今年、歌手生活60年を迎えた五木さんは言う。「大勢の前で歌う機会は数え切れないほどありましたけど、あれほど歌っていて良かったと思った瞬間はなかったですね。歌で皆さんが喜んでくれる。人生で初めて、それを強く感じた瞬間でした」

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 災害と、歌の持つ力と。歌謡界を引っ張る五木さんに聞いた。(上田勇紀)

■がれきの町で知った「歌の力」 「頑張れ神戸」っていう思いを込めて

 阪神・淡路大震災の発生から4カ月後、神戸市長田区の大正筋商店街で無料コンサートを行い、その後も兵庫に通い続ける歌手の五木ひろしさん(76)。歌の持つ力を実感し、東日本大震災や能登半島地震の被災地を支援してきました。人々を魅了する歌声の原点を聞きました。(聞き手・上田勇紀)