1995年4月1日。プロ野球オリックス・ブルーウェーブの開幕投手は佐藤義則さん(70)だった。本拠地であるグリーンスタジアム神戸(神戸市須磨区、現ほっともっとフィールド神戸)のマウンドに立った背番号「11」は、スタンドの光景に息をのむ。
阪神・淡路大震災の発生からまだ3カ月足らず。明日の見えない暮らしが続く被災地の球場に、3万人の観衆が詰めかけたのだ。
「家にいてもやることがないから野球観戦でも、となったのか」。驚く佐藤さんの胸にそんな考えもよぎったが、すぐに気持ちを奮い立たせた。「あれだけ入ってくれたら、そりゃ頑張るしかないよね」
7回2失点。佐藤さんに勝敗はつかなかったが、チームは逆転勝ちで開幕ゲームを飾った。
正直、野球どころではなかったという。神戸にある佐藤さんの住まいに被害はなかったが、多くの選手が被災した。2月のキャンプに参加しても、グラウンドでは「おまえんとこは大丈夫か?」と震災の話題ばかり。不安を抱えたままペナントレースは始まった。
「がんばろうKOBE」のワッペンをユニホームにつけたナイン。チームの勝利を町の復興に重ねて声援を送るファン。そこに一体感が生まれ、オリックスは勝ち星を積み上げていく。
8月には、佐藤さんも大記録を打ち立てた。40歳11カ月でのノーヒットノーラン。当時のプロ野球最年長記録だった。
そして、つかんだ悲願のリーグ制覇。佐藤さんは振り返る。「『がんばろうKOBE』。あの言葉はしっくりきたね。みんなで勝てた、という思いがある」
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北海道・奥尻島出身の佐藤さんは津波で親族を亡くしている。ふるさと、神戸、東北-。被災地への思いを語った。(杉山雅崇)
■プレーで魅せるしかない リーグ優勝、被災者のみんなでつかんだ
「がんばろうKOBE」を合言葉にプロ野球でリーグ優勝をなしとげ、被災地に元気をくれた1995年のオリックス。ベテランとしてチームを支えた佐藤義則さん(70)=神戸市東灘区=は93年の北海道南西沖地震で伯母を亡くしました。楽天のコーチ時代には東日本大震災(2011年)を経験。野球と被災地への熱い思いを語ってくれました。
ー阪神・淡路大震災の発生時はどこに?