小学6年生だった。

 1995年1月17日午前5時46分。兵庫県西宮市のマンションに家族と暮らしていた鈴木亮平さん(41)は2段ベッドの下段で寝ていた。

 「ゴーッて音がして、激しい揺れが来て。多分、十何秒だと思うけど、すごく長く感じました」。一体、何が起こったのか。学習机の引き出しが飛んできた。

 父親がドアをこじ開け、子ども部屋に入ってきた。「地震や! 外に出るぞ」。近くの公園に避難した後、車の中で昼ごろまで過ごした。

 学校は休みになり、避難所になった。兄と水をくみに行った。建物の倒壊や火事も目にしたが、一番ショックを受けたのは、自宅からそう遠くないところで、阪神高速が倒れていたことだった。

 ただ当時は不思議と不安や怖さを感じなかったという。「今思うのは、親が必死に守ってくれ、不安を感じさせないようにしてくれたんだなあと。自分も大人になったから分かります」

阪神・淡路大震災について思いを語る鈴木亮平さん=東京都内(撮影・長嶺麻子)

 阪神電車が神戸の途中まで復旧した直後、「ちょっと見に行くぞ」と父に誘われたことがある。建築士として住宅の被害認定に奔走していた父。兄と3人で電車に乗った。

 西宮、芦屋、神戸…。傷ついたまちを、ずっと立って車窓から見ていた。地震の被害が近所だけでなく、広い範囲にわたっていると知った。何より父が「見ておけ」と言ったことの意味を理解しようとした。

 「当時は見せられてた半分、見てた半分。でも、大人になってすごく自分に効いていると思います」

 30年前の経験は、仕事との向き合い方にも色濃く影響していると感じる。

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 自分の震災体験を語ることで、だれかの役に立つかもしれない。鈴木さんはそう言いながら、あの日のこと、西宮への思いを語ってくれた。(中島摩子)

■心の復興に携わることができたら あの日を知る者として、手を抜かない

 小学6年生の時、西宮市で阪神・淡路大震災を経験した俳優の鈴木亮平さん(41)。「えらそうなことは言えないですけど」と何度も口にしつつ、30年前の体験や仕事との向き合い方、ふるさとへの思いを話してくれました。

ー小学校の卒業直前に震災が起きた。