■「普通」にとらわれず生きる/憲法13条の理念で幸福追求

 法廷でも職場でも、常に犬の毛が服についている。神戸市中央区の法律事務所に所属する吉江仁子さん(54)は日本で唯一、盲導犬を連れて活動する弁護士だ。18歳で進行性の「網膜色素変性症」と診断され、35歳で弁護士になった。犬の助けと電子機器を駆使して民事、刑事、家事と幅広く依頼を受け、大型国賠訴訟など社会的な運動にも熱心に参加する。「障害があってもなくても、やりたいことをして生きる」。その姿勢は個人の生命、自由、幸福追求の権利を最大限尊重する日本国憲法の理念にも通じているという。(那谷享平)

 -普段、仕事はどのように進めているのですか。

 「私は右目の視力が0・3で、視野は周辺欠損で5度くらいしかなくて、机を挟んで1メートル先に座る人の顔と肩が見えるくらいです。左目の視力は測定不能で、紙の資料から直接文字を読むことはできないので、拡大読書機やパソコンのテキスト音声読み上げ機能を使っています。訴状などの裁判の書面はパソコンで作り、法廷でも紙ではなく手元のパソコン画面を読んでいます」

 「映像からは情報を取れないので、法廷で証拠の動画が再生されるような時は、依頼者に内容を聞いてコミュニケーションを取りながら対応します。視覚障害のあるほかの弁護士も同じですが、見えない分を言葉で補うので、情報を言語化する能力は高い方だと思います。耳が良いとも言われます。相手の話を聞いて、聞き返しがほとんどないって」

 -盲導犬は大切なパートナーですね。

 「2010年に盲導犬を迎えました。きっかけは弁護士になってから視覚障害のある人に『他の人の安全のためにも、白杖(はくじょう)か犬を持ちなさい』と言われたこと。実際、疲れていると地下鉄駅のホームで誰かとぶつかることがあった。杖(つえ)より犬の方が面白いかなと思って。今、サポートしてくれているルミナスは9歳のオスで、法廷でも事務所でも家でも24時間一緒です。犬用の荷物も増えるけど、やっぱり杖より面白い。黒いコートは捨てました。毛の付着が目立つので」

 「15年前から現在まで、盲導犬と共に活動する弁護士は日本で私だけ。早く2人目が出てくれたらいいのにな。最初の頃は家裁の待合室に入れてもらえなかったり、拘置所の接見ですごく待たされたりという経験もしました。ルミナスはオフィスでも法廷でも静かだし、寝息を立てていて、邪魔にならないでしょう。依頼者の人たちも『癒やされる』って喜んでくれます。犬がダメという理由で依頼に至らなかったこともあるけど、それはしょうがないですね」

神戸市中央区

 -目の病気はいつ頃、分かったのですか。

 「大学入学時に受けた健康診断で告知されました。子どもの頃から夜盲で視力が低く、視野が狭いという自覚もありました。20歳の時には『40歳までに失明するかもしれない』『無理をしないで日常生活を過ごして』と言われて。24歳の時、2級の障害者手帳を取りました。初めて切符を買う駅の窓口でおずおずと手帳を出した時、経済的なメリットを考えて自分で取得したとはいえ、『私は障害者なんだ』と思い涙がこみ上げました」

 「少し前向きになったきっかけは、手帳を取った年の夏にイギリスを1週間、一人で旅行したことでした。視覚障害者になったので辞めようかと悩んだけど、せっかくなので行ってみようと。バックパッカースタイルで、初日だけホテルを予約し、後は現地で宿を探す。目が見えてもできない人はいるだろうし、好きな場所に行き、無事に帰ってこられて達成感がありました」

 -それから弁護士を目指すようになったのですか。

 「大学の法学部を卒業後はパソコン販売員の仕事をしていました。『自分にはできることがある』というのを少しずつ確認する時期を経て、20代後半でやりたいことを探し直そうという気持ちになった。偶然、法律事務所の事務員のアルバイト募集を見つけ、法律の仕事をする最後のチャンスかもと思い、応募したら採用されて。3週間後には司法試験の勉強をする学校に申し込み、事務員をしながら3年ぐらい勉強し、さらに2年間、専念して。お金もなくなり『今度の司法試験に落ちたら、もうやることないな』と思っていたら合格した。33歳の時のことです。35歳で弁護士登録しました」

 -異色の経歴ですね。

 「好きなこと、楽しいことをやっているだけなんですけどね。去年、視覚障害のある全国の弁護士の任意団体を立ち上げました。主要メンバーは6人。ハンディキャップのある若い弁護士たちの参考や励ましになるんじゃないかと考えました。年に4回はオンライン、1回はリアルで集まってメンバーの職場を訪ねます。『われわれだからこそできる仕事があるよね』って言いながら交流しています」

 「実はずっと『普通』に憧れていたんです。子どもの頃から目が見えにくく、どんくさいから体育の授業では笑われるし、嫌だった。他の子と感性のずれも感じていました。それでも『ぎりぎり普通』になれるよう頑張ってきた。だから障害者手帳を取った時は、『自分は普通じゃなくなった』という感覚でした。今は『普通じゃないことを選択したからしょうがない』と思う。盲導犬と一緒なので、どうしたって世間で言う『普通』じゃない。障害を表に出して歩いているわけですから」

 -その葛藤は今の仕事にどうつながっていますか。

 「今の日本では、多くの人が誰かが決めた『普通』に必死に近づこうとしていると思うんです。特に若い人たちにとっては、例えば『標準的18歳』であることがすごく大事。私自身もそうだった。でも、そんなあるべき像から外れたっていいし、とらわれる必要はない。普通を探し続けてもしょうがない。自分がやりたいことをし続けていく先にしか、自分の人生を肯定する道はない。いい人でありたい、いい弁護士でありたい、いい友人でありたいと願い、やれることをやる。幸福を追求しながら、もがいて生きてきたから今の私があると思っています」

 「憲法13条の『個人の尊重と幸福追求』の条文がまさに、この考え方だと思っていて。戦争に突き進んだ全体主義的な同調圧力をよしとしない。一人一人がやりたいことをやって生きていける条文で、みんながそれぞれ幸福を追求できる社会ってどういう社会かをみんなで考えようっていう条文です。『男の子がスカートをはくなんてとんでもない』という人もいるし、『犬なんか連れて仕事するなんてとんでもない』っていう人もいるけど、ステレオタイプから外れていても、やりたいならやってもいいじゃないという感じかな。何か理由をつけて、やりたいことを諦めることが癖になると、やがてやりたいことがなんにもなくなっちゃう。若い人に伝えたいことです」

【よしえ・きみこ】1971年生まれ。宝塚市出身。名古屋大学法学部卒。2006年に弁護士登録し、13年から兵庫県で活動。旧優生保護法の強制不妊訴訟の弁護団にも参加し、昨年、最高裁で国に勝訴した。