■夜中の3時間を執筆に/頭の中のイメージ掘り出し、形に
「ワーママ勤務医兼物書き」。昨年10月、医療ミステリー小説「禁忌(きんき)の子」でデビューした作家山口未桜(みお)さん(37)=神戸市東灘区出身=は、X(旧ツイッター)のプロフィルにそう記す。大阪府の総合病院で消化器内科医として働き、帰宅後は5歳の娘の世話をして小説を執筆する。デビュー作が今年の本屋大賞で4位に選ばれ、知名度が一気に高まっても、その生活は変わらない。医師、母親、作家の「三刀流」をどうこなしているのか。加えて、執筆の原動力とは? 同世代の一人として気になり、大阪を訪ねた。(田中宏樹)
-「禁忌の子」が昨年、推理小説の新人文学賞「鮎川哲也賞」に輝き、作家として歩み始めました。
「阪神地域を舞台にしたこの作品は初めて手がけた長編小説です。私は神戸生まれで、神戸育ち。高校時代に阪神地域に引っ越し、神戸大学医学部に通いました。リアリティーのある長編を書きたいと考えた時に、地元を舞台にする方が地理や場所の距離感を反映でき、良い作品につながると考えました。鮎川哲也賞の受賞は人生が大きく動いた瞬間です。うれしさと同時に医師としての仕事と家庭生活に加え、新たな軸ができる緊張感や不安もありました」
-なぜ作家を志したのですか。
「高校で文芸部に入り、小説を書くことが面白かったんです。コンクールで賞もいただき、ちょっと調子に乗ったんでしょうか。『作家になりたい』と思いました。でも、両親に考えを伝えると猛反対されました。医学部に進んで医師になってからは臨床の現場で働き、研究や論文執筆にも時間を割きました」
「新型コロナ禍の2020年8月に長女を出産し、翌年4月に職場に復帰しました。当直勤務や緊急時の呼び出しに対応する『オンコール』にも比較的早く戻りました。ただ、フルタイム勤務と子育ての両立は大変です。さらに研究に取り組もうと思っても、休日に病院に出向いてデータを集める作業や勉強会への参加はなかなかできません。その時に『私は小説を書きたかったんだ』と思い出しました。そして執筆を始め、推理作家の有栖川有栖さんが塾長の創作塾で手法を学びました。コロナ禍でオンライン開催だったので、自宅から参加できて助かりました」
-作家の道を目指すことに迷いはありませんでしたか。
「大学院への進学や論文の執筆など、医師としてやりたいことは多くありました。でも、娘としっかり関わりたい気持ちもある。子育てはその折り合いをつけていくことが必要だと思います。私は本来やりたかったことを思い出し、今の自分があります。小説を書くことは楽しく、あの時の選択に後悔はないです」
-それにしても忙しい生活の中で、いつ小説を書いていますか。
「メインは夜中の時間ですね。基本は夜11時から翌日午前2時までの3時間。それを毎日頑張れば、4カ月ぐらいで一つの作品の初稿が完成するので、そのペースを目標にしています。例えば、今年8月に出版した2作目の『白魔(びゃくま)の檻(おり)』は1600字詰めの用紙で160枚ほどの分量です。1日に1枚でも2枚でもこつこつ書けばできるんです。アイデアや展開はシームレスに(途切れなく)頭の中で練っていますね。例えば、夜に娘を寝かしつける時、一緒に横になって考えたりしています」
-「三刀流」の生活をしてまで小説を書く原動力は何ですか。
「今は幸いなことに、自分の中にあるふんわりとした物語のイメージを掘り出し、小説にしたいという衝動があると感じています。その過程では不安や苦しさも多い。どんな形になるのか書いてみないと分からないですしね。けれども、自分が書かないと誰も書いてくれません。まだ世の中に出ていない物語なので、AI(人工知能)でも執筆は無理なんです。だから自分で書く。そんな感覚です。でも、今の生活って本当にギリギリの状態で回しているのが本音です。正直、健康にもあまり良くないかなと思います。『書きたい』というモチベーションが枯渇すると、作家の活動を続けるのは難しい気がします」
-「白魔の檻」は北海道の山奥にある病院が舞台で、山間地域のへき地医療の現状や課題に触れています。
「10年ほど前、医療協力の形で北海道の病院へ短期間派遣されました。そこでは医師の当直やオンコールの頻度が都市部の病院より多く、休みも十分に取れないといった大変さがありました。作品を通して医療の現状が伝われば良いな、とは思います。でも、それを声高に訴えるために書いた作品ではありません。小説ってエンターテインメントであるべきで、説教くさいものは書きたくないんですよね。あと、私は登場する医療従事者を必要以上にかっこよく書きたくないと思っています。『しんどいな』とか考えることがあっても、目の前に患者さんが来たらやるべきことをやる。医師のそんなリアルな心情を描いたつもりです」
-小学1年の冬に、阪神・淡路大震災を経験されたそうですね。
「当時、神戸市東灘区で阪神高速が横倒しになった場所のすぐ近くに住んでいました。あの日、午前3時ごろに目が覚め、子ども部屋を移動して親の布団で寝ていたんです。揺れで自分の枕元には本棚が倒れ、部屋を移動していなければ…という状況でした。震災で亡くなった同級生もいます。私の自宅は一部損壊でしたが、隣のマンションは2階が押しつぶされていました。自分は本当にたまたま助かったのだと思います。それからしばらくは井戸で水をくんでガスこんろで加熱し、紙皿にラップを敷いて食事をするような生活を送りました。阪神・淡路は自分の人生でとても大きな出来事です」
「『白魔の檻』は、阪神・淡路の被災経験がベースになっている部分があります。震災は同じ街や地域でも被害の状況が異なり、人によって経験した出来事にグラデーションが生じます。今回の作品の主人公である女性研修医は東日本大震災で父親の会社の取引先が被災をし、生活に大きく影響を受けたという設定です。一方、東北で震災を直接経験して自宅を失った専攻医の男性も登場させています。さらに病院がある地域で大地震が発生して…とあまり内容を話すと作品のネタバレになりますが、そういった被災の濃淡が生まれる状況も描きました。阪神・淡路は自分がしっかり向き合い、書くべきテーマだと思っています」
-これから作家としてどんな道を歩んでいきたいですか。
「人生のドラマを描き、読んで面白い作品を書きたいという思いは変わらない。未来のことは何も分からないですが、私の人生も娘の成長などに伴い今後はフェーズが変わると思います。1日は24時間しかなく、その限られた時間で何を優先するべきか考えることが大切です。どんな道も一寸先は闇という感じですが、常にその場のベストを尽くしていくしかないと考えています」
【やまぐち・みお】 1987年生まれ。神戸市東灘区出身、神戸大学医学部卒業。大阪府在住。現在、府内の総合病院で消化器内科医として勤務する。人気漫画「名探偵コナン」のファンで自宅には全巻がそろう。