■誰かを勇気づけられたら/釈迦の教え「和顔愛語」を大切に

 姫路市網干区の古刹(こさつ)、大覚寺の僧侶、中西玄禮さん(85)は「秋はもみじの永観堂」で知られる京都市左京区の浄土宗西山禅林寺派の本山で管長を8年務めた高僧だ。そして45年の長きにわたって、電話を使った「テレホン法話」に取り組んできた。時間や場所を問わず法話を聞ける手軽さが話題を呼んだ一方、定期的に新しい話を録音する作業は大変だったという。24年前に取材したことがあったが、今年2月にテレホン法話を終わらせたと聞き、再び話をうかがいたくなった。なぜ45年間も続けてこられたのだろう。姫路の古刹を訪れると、変わらぬ優しい笑顔で迎えてくれた。(霍見真一郎)

-ご実家がお寺とはいえ、僧侶になることに抵抗はなかったのですか。

 「高校生の頃に一時、大学の教育学部に行って教師になりたいと思ったことがありました。それでも進路を決めるときに尊敬している先輩に相談したら、仏教の勉強をした方がいいと言われまして。私は幼稚園児の頃から、こんな衣(袈裟(けさ))を作ってもらって、住職だった父親の後について檀家(だんか)参りをしていたんですよ。どこに行っても人気者でね。かわいらしいこぼんちゃん、とか言われて。(終戦直後で)物のない昭和20年代初めですが、なにがしかのおやつを頂けるのが楽しみでしたね」

 「小学校に入ったら、お坊さんになる得度(とくど)式をしました。6歳ですかね。『おかみそり』っていいましてね。お経を復唱して、父親が頭にかみそりを載せてすっと滑らせる。それで一応、出家したことになるんです。それまでは『玄禮』と書いて『はるゆき』と読んでいましたが、それからは『げんれい』になりました。そういえば、お坊さんになるのが嫌やなあと思ったことは不思議と一度もなかったですね。長男だったから、それが当然という感じだったのかもしれません」

-子どもの頃、僧侶はどんな仕事だと思っていましたか。