■同じ「人々の本能の表れ」/「直感的」と「論理的」つなぐ言葉を
なぜ人は根拠のない話をいとも簡単に信じてしまうのか。SNS(交流サイト)の普及やAI(人工知能)の進化により、真偽不明の陰謀論やフェイクニュースが瞬く間に拡散する現代社会。民俗学者の島村恭則・関西学院大社会学部教授(58)は、その背景に神話や民話、都市伝説といった「民俗」の成り立ちを重ね合わせる。人間の認知の根源と、情報社会における言葉のあり方について聞いた。(前川茂之)
-民話や神話の延長線上に現代の「陰謀論」がある、とはどういう意味でしょう。そもそも、人間はなぜ非科学的なものや根拠のない話を信じてしまうのでしょうか。
「民俗学は『俗』なるものを見つめてきた学問です。近代社会が不合理だと切り捨ててきた神話や民話、都市伝説などはその一つです。人間は元来、自然という恵みをもたらす一方で猛威も振るう『カオス(混沌(こんとん))』に耐えられず、これを『ノモス(秩序)』に変換しようとしてきました。荒れる自然や、それによって引き起こされる災いに意味付けができれば、少しは納得できます。そうして『カミ(神)』として祭ったり、妖怪や異界の話として語り継いだりしてきたわけです」
「日常の小さな行動にも同じことが表れます。畳の縁を踏まないようにしたり、軒下や敷居などの境目を気にしたり。そこに理屈はないけれど、脳がそう反応してしまう。警戒が必要なカオスにずっとさらされるのに耐えられないので、境界を設けて防衛線を張ろうとするんです」
「民俗学が扱ってきたこうした非科学的な認知は、認知科学でいう『システム1(直感的思考)』を基盤にしています。そこに事実(ファクト)があるかどうかは関係ありません。昔の村社会では、人々はファクトチェックなどせずに生きてきました。お寺や家の言い伝えも都合よく変わってきたのですが、人々はそれを自然に信じてきたわけです」
「人間の脳は1万年以上前からほとんど進化していないと言われます。近代の制度はファクトを前提として動いていますが、人類の歴史の中でファクトが重視されるようになったのは、たかだか、ここ200年程度のことです。人間の脳はそもそもファクトを求めるようにはできていません。近代のシステムに脳が追いついていないのです」
-民話なら楽しむだけで済みますが、陰謀論となるとどうでしょう。
「都市伝説などは、お話として消費されているうちはいいんです。でも、それが陰謀論として肥大化し、集団を巻き込んで力を持ってしまうと、ちょっとシャレにならないですよね。人の命や医療に関わってくることもあります。現実の行動を動かすところまで来たら、やはり向き合わねばなりません」
「かつてのフォークロア(伝承)は時間をかけてじわじわ広がりましたが、今はSNSによって一瞬で拡散してしまいます。『口裂け女』のような都市伝説でも全国に広がるのに半年とか1年とか、かかっていました。その時間が圧縮されて、しかも強い言葉ほど目につく。陰謀論の場合、SNSの構造に加えて、社会への不満を抱える人が政治家などに自分自身を『投影』してしまう心理的な側面も掛け合わさっています」
「さらに、AIが心地よい答えをすぐに出してくれる。事実を調べたり、自分で熟考したりする論理的な思考の『システム2』が必要とされない時代になっています。人々は認知の負荷を下げるために安易な答えに飛びつくようになってしまい、ある意味、考える筋力のようなものが落ちてきているのかもしれません」

-直感的なシステム1に引っ張られやすいのが人間のさがだとして、私たちはどうすれば「自分で判断する回路」を保てるのでしょう。
「そこが難しいところです。社会学などの学問は『社会を良くしなきゃ』と社会を大前提にして考えますよね。でも、世の中の多くの人は多分、『社会』という概念をあまり持っていません。日々の暮らしの感覚からすれば、『社会のために』と言われてもピンとこない。だから陰謀論を信じている人たちに対して、システム2の言葉で論理的に、啓蒙的に語りかけても全く通じないし、交わらないんですよ」
「例えば、コロナ禍の反ワクチンの動きなども『体の中に悪いものを入れたくない』という、いわば玄関にお札を貼るのと同じ防衛本能に近いものです。外と内の境界を守りたい、という感覚ですね。それを頭ごなしに否定し、上から目線で接しても分断を生むだけです。一方で、私たちは生きている限り社会と接点を持ちますから、システム2の論理性を完全に放棄するわけにはいきません」
「大切なのは、システム1と2の間にある『1・5』のような落としどころを確保することです。直感的な『俗』の声を拾い上げながら、取捨選択をして論理(システム2)につないでいく。民俗学は、ずっとそういう回路を扱ってきた学問なんだと思います」
-先の兵庫県知事選では、世間で飛び交ううわさ話や真偽不明の情報を報じなかったことで、「メディアは隠している」と受け取られました。こうしたメディア不信の状況をどう見ますか。
「とてもよくわかります。上からテンプレート(ひな型)のような形通りの事実だけを示しても判断材料にならないし、かといって、下の混沌としたシステム1だけでは判断できない。メディアが提供すべきなのは、自分で判断できる材料であり、その間のところだと思うんです」
「民俗学者の柳田國男は、新聞などの制度的な大文字の言葉を『四角い言葉』、庶民の世間話を『丸い言葉』と呼びました。柳田は丸い言葉を手放しに評価したわけではなく、その中から人々の心の機微を表現できる良い言葉を選び取って、標準語のような『四角い言葉』の中に混ぜていく、という発想をしていました。俗の言葉を拾うのは迎合のためではなく、制度の言葉を現実に即したものに鍛え直すためなんです。柳田が重視した『世間話』の世間は、近代の文脈では、単なる村の外の社会ではなく『公(公共)』という意味合いに変わっています。人々がふだんから雑談を交わし、整わないなりに意見を言い合う。そうした日常の言葉が、公共について考える出発点になるのです」
-ファクトだけでなく、そうした「俗」なる声や「丸い言葉」を取り入れるとは、具体的にどういうことなのでしょう。
「教条的な言葉で結論だけを上から伝えることではなく、取材のプロセスも含めて判断材料を示し、受け手が自分で考える余地をつくることです。システム1の言葉の機微を拾い、システム2をより良いものにしていくための『つなぐ言葉』を獲得する。陰謀論や都市伝説があふれる時代だからこそ、そこが今、いちばん問われているのではないでしょうか」
【しまむら・たかのり】1967年東京都生まれ。専門は現代民俗学、民俗学理論。現代民俗学会会長。著書に「恐怖の民俗学」「これからの時代を生き抜くための民俗学入門」「みんなの民俗学」など多数。