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栄光の先-戦没オリンピアン(5)エピローグ・次代へ 天才サッカー選手が向かった「墓島」

2021/08/13 22:35

 神戸の御影師範学校付属小でサッカーに親しみ、神戸一中(現・神戸高校)の蹴球部で技を磨いた戦没オリンピアンがいる。

 慶応義塾大学に在学中、ベルリン五輪(1936年)に出場した右近徳太郎さん。ただ、生前の彼の姿を語ることができる人は、今や数少ない。

 その1人が、神戸一中の後輩で、世界最高齢のサッカージャーナリストとして知られる賀川浩さん(96)=神戸市東灘区=だ。

 「身体能力が非常に高く、個人技がとてもうまかった。ゴールキーパー以外、どのポジションもこなした天才」と賀川さん。

 右近さんはベルリン五輪のスウェーデン戦で、貴重な同点ゴールを決める。優勝候補を破り、「ベルリンの奇跡」と呼ばれた。

 「日本人はサッカーに向いていない、という人もいたが、私が日本のサッカーをあきらめなかったのは、右近徳太郎を見たから」

 五輪の後も、右近さんは神戸一中の練習に顔を出した。賀川さんもキックを教えてもらったという。

 しかし、陸軍に召集され、ベルリンの奇跡から8年後、ブーゲンビル島で命を落とした。多くの兵士が餓死し、「墓島」と呼ばれた過酷な戦地で最期を迎えるまで、天才サッカー選手はどう生きたのか。分からないことが多い。

     ◆

 戦没オリンピアンの調査を進めてきたのは、広島市立大名誉教授の曾根幹子さん(68)だ。

 「栄光の記録はたくさん残っているのに、出征後はほとんど残っていない。オリンピックで世界を見た人が、戦争で何を感じたのだろう」

 戦没者名簿を調べ、遺族に会い、資料を求めてドイツにも出掛けた。

 自身もオリンピアンだ。モントリオール五輪(1976年)の陸上走り高跳びに出場した。

 「戦没オリンピアンだけが、戦争の悲惨さを背負っているわけではない」と思う。でも、オリンピアンだからこそ伝えられることがあるとも感じる。

 戦争を想像することすら難しい世代がいる。でも、東京五輪があったこの夏、何かを感じることができるかもしれない。

 「戦没オリンピアンを通して戦争を振り返ったとき、『なぜ?』が問い掛けてくる」と曾根さん。調査はまだ終わっていない。

     ◆

 父がロサンゼルス五輪(1932年)の競泳男子100メートル自由形で銀メダルを獲得した河石達雄さん(76)=尼崎市=はかつて、父の出身地である広島県江田島市の小学校に招かれ、子どもたちに語り掛けた。

 「親は子どものこと、一生懸命思っているんだよ」

 同市ではその後、達雄さんの父が硫黄島から家族に送った手紙を題材にした道徳教材も作られた。

 東京五輪が開幕した7月23日、達雄さんは父の遺影を持ってソファーに座り、テレビを鑑賞した。

 「親爺、開会式やで」などと話し掛けながら。

 戦後76年の夏が過ぎていく。戦没オリンピアンは、私たちに伝える。栄光の先を奪った戦争を。かけがえのない命を。(中島摩子)

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