東日本大震災の発生から11日で丸10年となった。ラグビー・トップリーグ(TL)神戸製鋼のフッカー鹿田翔平(31)は当時、関東大学リーグ1部・流通経大(茨城県龍ケ崎市)の主将で、その年の秋にリーグ初優勝を果たした。鹿田は今も、同市で取り組んだボランティア活動が飛躍の原動力になったと信じている。(有島弘記)
あの日。流通経大は新チームが始動し、鹿田はジムでスクワット中に地震に襲われた。「すぐに外に出ろ」。トレーナーの指示で避難すると、平屋のジムは左右になお、激しく揺れていた。
茨城県の内陸にある同市は家屋など建物被害は一部損壊を中心に約8千棟を数え、ライフラインも寸断された。流通経大のグラウンドも液状化し、チームは一時的に解散することになった。
「(同市は)自分たちのホームタウン。困っている人をサポートしよう」。内山監督の言葉に共感した鹿田は、後に神鋼でも同僚になるプロップ中島イシレリ(31)ら選手寮に残ったメンバーと同市役所へ向かった。以来、タンクに入った水を配送用トラックに積み込むなど、自慢の腕力で給水作業を手伝った。以来、活動は2週間に及んだ。
震災から1カ月後、サッカー部の練習場を借りて、ラグビー部は活動を再開した。合言葉は「震災を言い訳にしない」。鹿田を中心に団結したチームはリーグ最終節で東海大を破って逆転優勝を果たした。鹿田はボランティア活動中に出会った市民の応援が「力になった」と振り返る。
鹿田が現在所属する神鋼も、26年前に阪神・淡路大震災を経験。高炉の早期復旧を果たした鉄鋼マンの精神を受け継いでプレーしている。今季のTLはまだ始まったばかり。加入3季目の鹿田は「プライドを背負って戦える」と体を張っている。









