
晩年の溥傑氏と浩さん(関西学院大学博物館提供、時期不明)
1972(昭和47)年、日本と中国は国交正常化を果たした。嫮生(こせい)と、実業家の夫、福永健治は翌年、結婚後初めて北京の両親を訪問。74年12月には溥傑(ふけつ)と浩(ひろ)が日本へやって来た。動乱の文化大革命を経て、浩は13年ぶり、溥傑にとっては30年ぶりのことだった。
嫮生は、神戸市須磨区の自宅に2人を迎えた。既に4人の子どもがおり、三男はまだ赤ん坊だった。
この記事は会員限定です。新聞購読者は会員登録だけで続きをお読みいただけます。