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第6部 不思議巡り

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 日本民俗学の父、柳田国男の生まれ故郷である兵庫県福崎町。その生家近くにある池には河童が住んでいる。古くて新しい赤い河童。町内には、河童のほかにも妖怪たちがあふれていた。そして明石市には河童コレクションが。かつて畏れ、今は愛される妖怪を追って兵庫県内を歩いた。

赤い河童がガバリ!
河童が手にするのは人間の尻子玉。尻子玉が何かは不明だが、取られたら死ぬので要注意=兵庫県福崎町西田原(撮影・大山伸一郎)
河童が手にするのは人間の尻子玉。尻子玉が何かは不明だが、取られたら死ぬので要注意=兵庫県福崎町西田原(撮影・大山伸一郎)

 雨がしとしと降っていて一人とぼとぼ歩いてた。

 うねうね道のその先に、底の見えない暗い池。橋のたもとでのぞいてみたら、コイがのんびり泳いでた。何の気なしに見ていると、ゴボゴボ水面が泡立って、出、出、出たァ-!!

 河童(かっぱ)がガバリと現れた。

 ここは、兵庫県福崎町。日本民俗学の父といわれ、「妖怪談義」の著書がある柳田国男(1875~1962年)の生まれ故郷だ。

 その生家や記念館近くの辻川山公園に、河童が出るようになったのは4年前。濁った池を逆手に取って、機械仕掛けのリアルな人形「河次郎(ガジロウ)」と「河太郎(ガタロウ)」を置くと、これが当たった。観光客は年間10万人近く、一気に増えた。

 「市川の駒ケ岩のガタロの伝説が基になってます」と町の担当者。なるほど、柳田の自伝「故郷七十年」にはこうある。

 「辻川あたりでは河童はガタロというが、市川で泳いでいるとお尻をぬかれるという話がよくあった」。つまり、駒ケ岩の深い淵に引き込まれる水難事故は、河童の仕業と言い習わされており、柳田少年も「もう少しで死にかかった」。

 それからおよそ30年-。柳田は論考「河童駒引(こまびき)」で膨大な伝承を紹介し、民俗学的研究の先鞭(せんべん)をつけた。

 何しろ、呼び名からしていろいろだ。メドチ、カワコ、エンコウ、シバテン…。河童はあくまで関東由来の総称にすぎない。

 甲羅や水かき、くちばしのある姿も「江戸のカメ・スッポン型のイメージで、関西では毛の生えたサルやカワウソ型」。妖怪に関する論文で初めて博士号を取得した“妖怪博士”こと、兵庫県立歴史博物館の香川雅信学芸課長はそう話す。「でも、今ではイメージが画一化され、サル型は河童と認められないでしょう」

 辻川山公園にいるのも、確かにカメ… あっ、でも、おなじみの緑色じゃなく、不気味に赤い。

 不思議なようだが、実はこれにもいわれがあった

かつて畏れ 今は愛され
福崎町内にある妖怪ベンチ「猫また」
福崎町内にある妖怪ベンチ「猫また」

 「遠野の川童は面(つら)の色赭(あか)きなり」

 柳田国男が岩手県遠野地方の伝承を記した民俗学の古典「遠野物語」の一節だ。

 実は、辻川山公園の河童(かっぱ)は当初、ベージュ色だった。半年で塗り直しが必要となったちょうどそのころ、福崎町と遠野市は友好都市に。「芸のない緑色だけは嫌」と悩んでいた町の担当者が赤色を選んだところ、たちまち人気に火が付いた。今や、天狗(てんぐ)や鬼に一つ目小僧と、妖怪たちは町の中にも進出する。

 河童ほどメジャーな妖怪はない。兵庫県内でも河童の伝承は数多く、姫路市の夢前川では、庄屋の家の馬を淵へ引き込もうとして失敗する。「河童の駒引(こまびき)」といわれる特徴だ。柳田はこれを、水神に馬をささげる古代の祭祀(さいし)の痕跡と考えた。

 「おかに上がった河童」状態で、家伝の妙薬の作り方を教えて許しを乞うのがパターンだが、佐用町では手を切られて、わび証文まで取られそうになる。「川裾(かわすそ)祭」といわれる水神の祭りを行う豊岡市の竹野川や丹波市の本郷川(加古川)のほか、西宮市の武庫川にも河童話は残る。

妖怪より人間の方が…
大生部兵主神社の神宝「天狗爪」
大生部兵主神社の神宝「天狗爪」

 キュウリが好き。金属類が嫌い。膳や椀(わん)を貸してくれる。女を襲う。河童の数ある特徴の中でも、柳田は「一番重要にしていることの一つは、相撲をとるということ」と述べる。

 相撲といえば、龍野で亡くなったとされる野見宿禰(のみのすくね)が始祖。當麻蹶速(たいまのけはや)との取り組みの地、奈良県桜井市の穴師坐兵主(あなしにいますひょうす)神社には、宿禰を祭る相撲神社がある。

 河童のことを九州ではヒョウスベとも呼び、河童よけの呪文には宿禰の子孫・菅原道真の名が出てくる。「ヘウスベよ 約束せしを忘るなよ 川立おのが あとはすがわら」

 相撲好きの謎を解き明かす鍵は、このあたりに潜んでいるらしい。

 この兵主神社、なぜか兵庫県でも但馬に多く、播磨や丹波を加えると10社と全国の半数を占める。

 豊岡市但東町の大生部(おおいくべ)兵主神社を訪ねたのは、5月3日の春の大祭。牛頭(ごず)天王をまつる「天王さん」は、往時は牛馬守護の参拝者を集めた。「河童の伝承は聞きませんが…」と黒田真保宮司(47)。ところが、別の妖怪の神宝を教えてくれた。

 「天狗爪」。鋭くとがり、黒光りする物体の存在は、不思議なことに「村では全く知られてません」と、氏子の森隆男・元関西大教授(66)=民俗学=は関心を寄せる。

 正体は、古代のサメの歯の化石。「修験道が神仏習合の時代、ここにあったことは確かです」と森さん。天狗と修験の山岳信仰は縁が深く、「明治に廃絶した薬王寺から来たのかも」と黒田宮司は言う。

 境内にも不気味なものがあった。黒田宮司が指さす杉の神木の幹には幾つも穴が。「呪い釘の跡です」。妖怪より、人間の方が恐ろしい。

明石に希代の収集家がいた!
田中庸介さん(写真右)のコレクションより、ミイラや「河童真図」、兵庫県内の河童こけしなど。生前は自宅に観光バスが来ていたという=明石市立文化博物館
田中庸介さん(写真右)のコレクションより、ミイラや「河童真図」、兵庫県内の河童こけしなど。生前は自宅に観光バスが来ていたという=明石市立文化博物館

 「明石の河童は海にいて、カワカムロという」。半世紀も前の知人の話の裏付けがいまだに取れないと、晩年の柳田はこぼしている。

 明石浦で人魚を釣った話は書物にあるが、河童の話は伝わっていない。しかし、日本一の河童コレクターが明石にいたのは偶然だろうか。

 田中庸介さん(1912~91年)は旅先の日光で河童の土笛を買ったのをきっかけに、集めに集め、その数、およそ6千点。現在は明石市立文化博物館に収められている。

 家宝というのが河童のミイラだ。但馬の柴山港のカニ漁船が、73年に島根県隠岐諸島沖で引き揚げたのを譲り受け、厨子(ずし)に収めてキュウリを毎朝お供えした。こちらは、海底で白骨化したクジラの背骨だという。

 家業の荒物問屋のマークも河童。「河童なんておれへんと言うたら、正座させられて大変やった」。長男の良夫さん(63)は苦笑する。

 「でも不思議な話があってな」。阪神・淡路大震災の時、周囲は断水しているのに、田中家だけは蛇口をひねると水が出た。市の職員も理由が分からず、首をひねった。「今はウチに河童がおると思てんねん」

 町おこしに一役買うほど愛される河童。キャラクター化が進む一方で伝承はリアリティーを失ってきた。

 南あわじ市志知松本の伊勢神社。駒引伝説の「河童松」はとうに枯れ、地元ではお年寄りも覚えていない。佐用町の「千種川河童まつり」も、根付くには至らなかった。

 河童を畏れる人は、もういない。

(記事・田中真治、写真・大山伸一郎)

余白の余話
神戸新聞NEXT
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 河童のことを追いかけていると、やめようにも、とまらない。

 なぜ相撲やキュウリを好むのか。河童がいれば尋ねる(人語を解するらしい)のだが、妖怪は実在しない。伝承と史料の向こうでいろんな姿を見せ、興味は尽きない。

 柳田国男が「今でもガタロがいるといっているであろうか」と故郷に思いをはせてから60年。機械仕掛けの河童を楽しむ風景を見たら、何と言うだろう。

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