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第6部 不思議巡り

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 今回は、国生みの島・淡路の難読地名をたどる旅にご招待。「淡路島は古代地名の宝庫」だから、読みにくいものが多いのだとか。受け継がれてきた地名は、ふるさとの誇り。その歴史にちょっとだけ、挑戦してみませんか?

国生み 古代地名の宝庫
透明なアクリル板に地名を並べ、風景に重ね合わせた。島の歴史とのつながりに思いをはせる=淡路市岩屋(撮影・大山伸一郎)
透明なアクリル板に地名を並べ、風景に重ね合わせた。島の歴史とのつながりに思いをはせる=淡路市岩屋(撮影・大山伸一郎)

 今回は、国生みの島・淡路の難読地名をたどる旅。

 播磨灘に面した淡路市北部の野島蟇浦(1)から山を越え、洲本市の安乎(2)や炬口(3)を経て南へ。タマネギやレタスなど豊かな農産物で知られる南あわじ市に入る。榎列掃守(4)に志知佐礼尾(5)、神代地頭方(6)…。市市(7)や阿万(8)も外せない。沼島と結ぶ連絡船が発着する灘土生(9)。極め付きは倭文(10)だ。

 いずれも、現役の地名である。明石海峡大橋の開通以降、観光客はすこぶる増えたが、すらすらと読める島外の人は少ないだろう。

 なぜ、多いのか。淡路地方史研究会顧問の武田信一さん(82)は「淡路島は古代地名の宝庫だから」と説明する。およそ千年前、平安末期以前から受け継がれる地名には、長い歴史の積み重ねが宿っている。

 皆さんはいくつ読めましたか? 正解は、最後まで読んでいただければ分かります。

学んで継承 古里のルーツ
上級生から下級生へ。伝統のしづおりが受け継がれていく=南あわじ市倭文庄田、倭文小学校
上級生から下級生へ。伝統のしづおりが受け継がれていく=南あわじ市倭文庄田、倭文小学校

 淡路島は古代地名の宝庫。その証拠が、平安時代に編さんされた、わが国初の百科事典といわれる「和名抄(わみょうしょう)」から読み取れる。

 当時の「国、郡、郷(ごう)」の名称が記されているが、淡路国には志筑(しづき)、広田、育波(いくは)、郡家(ぐんげ)、賀集(かしゅう)など19の郡・郷が載り、うち15は現在も残る。

 全国的には地名の6割が消失したのに、淡路は8割も現存する。島国ゆえと思いきや、隠岐(島根県)は全て消えたという。先人の著書を基に研究を進めた淡路地方史研究会顧問の武田信一さん(82)は「政治的、社会的な変化が少なかったからか、島民の保守性からか…。正直、よく分かりません」と首をかしげる。

 答えを探ろうと、難読地名の代表格、南あわじ市の倭文(しとおり)地区へ。倭文小学校で6月、織機を使った「しづおり」の授業があった。

 授業は30年続く。「実は、この織物が地名の由来なんです」と船越秀昭教頭(57)。「倭文部(しとりべ)」という古代の技術者集団が暮らし、朝廷に優れた織物を献上していた。それらを指す「倭文織(しづおり)」が地名となり、「倭文(しとおり)」に変わったらしい。

 授業では上級生が下級生を指導しながら、壁掛けなどを仕上げる。6年の山崎姫奈さん(12)は「私も最初、6年生から織り方を教わった。少しずつ覚えてほしいな」と後輩を温かく見守る。校内にはしづおり広場があり、児童が休み時間に織機を操る姿が見られる。

 「読み方が難しい? そんなん考えたことないなぁ」。子どもたちは屈託ないが、学びを通して古里のルーツを体感している。

淡路と朝来 「倭文」の縁
朝来市にある倭文神社の石碑=朝来市生野町円山
朝来市にある倭文神社の石碑=朝来市生野町円山

 地名が変わる理由には、市町村合併や開発、行政による変更などがある。1962(昭和37)年の住居表示法施行で、その土地に刻まれた歴史を物語る多くの地名が消えた。

 倭文地区にも、市町村合併の荒波は押し寄せた。57年、倭文村は広田村と合併して緑村に。その後、町制移行し、2005年、平成の大合併で南あわじ市となった。

 「倭文の名を守りたい」。広田村との合併当時、村長だった故片山秋津さんは家族に打ち明けた。妻敏子さん(97)は「愛着ある昔からの地名をどうしても残したかったんやろ」と振り返る。願いは通じ、古代淡路と朝廷との結びつきの深さを感じさせる地名を今に伝えている。

 神社本庁によると、倭文の名が付く神社は全国に少なくとも約15カ所ある。兵庫県内では、南あわじ市のほか、100キロ北の朝来市に2カ所あり、いずれも「しどり」と読む。

 同市生野町の倭文神社は創建1300年超。古代、近くに織物の技術者集団がいたと伝わる。山田定信宮司(81)は「昔はいい織物を織れますように、と人々が願いを込めたのでしょう。今は織物のことでお参りする人は聞いたことがないですが…」と話す。

 朝来からの帰途、姫路市南東部の継(つぎ)という住宅地に「五斗長」という地名があると聞き、立ち寄った。地元の男性によると、読み方は「ごとちょう」。田んぼが広がっていたことが関係しているとか。そういえば、この地名、淡路島にもあった!

難読地名 町おこしに一役
五斗長垣内遺跡の復元建物を背景に、自慢のメニューを手にする「まるごキッチン」の女性たち=淡路市黒谷
五斗長垣内遺跡の復元建物を背景に、自慢のメニューを手にする「まるごキッチン」の女性たち=淡路市黒谷

 夏の日を浴び、播磨灘が輝く。淡路市黒谷の高台にある五斗長地区。「ごっさ」と読む。水不足に苦しむ山地のため、「米を五斗作っただけで長になれる」を意味する「五斗長(ごとおさ)」となり、短く「五斗長(ごっさ)」に変化した-など由来には諸説ある。

 広く知られたきっかけが、2012年に国史跡となった五斗長垣内(かいと)遺跡だ。弥生後期、この地には国内最大規模の鉄器生産集落があった。

 04年、淡路島を襲った台風23号でため池が決壊し、棚田が土砂に埋まるなど大きな被害に遭う。復旧のための農地整備で、貴重な建物跡や多数の出土品が見つかったのだ。

 一度聞いたら忘れない難読地名も町おこしに一役買う。週末は地元の女性らが遺跡に隣接する「まるごキッチン」で五斗長ランチやカレーを提供。「ごっさ」にちなみ、5月3日にはたまねぎまつりを開く。タマネギなどを栽培・出荷する五斗長営農の高田一民(かずたみ)さん(59)は「どこへ行っても『五斗長から来ました』と自己紹介してきた。話が広がり、地区を知ってもらえる」と胸を張る。

 100年後も地名が残っているかどうかは、歴史に委ねられる。千年以上にわたり受け継いできた淡路びとの気風。それこそが、奇跡。

(記事・上田勇紀 写真・大山伸一郎、大森 武)

余白の余話
神戸新聞NEXT
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 淡路市の五斗長(ごっさ)地区に程近い、育波(いくは)で生まれ育った。ここも古代地名の一つで、的部(いくはべ)という弓矢の的を作るなどした集団が関係しているそうだが、知らなかった。「地名は文化財。分析することは古里を知ることにつながる」と武田信一さん。さて、難読地名、答えは次の通り。いくつ読めました?

 (1)のじまひきのうら(2)あいが(3)たけのくち(4)えなみかもり(5)しちされお(6)じんだいじとうほう(「じとほ」とも)(7)いちいち(8)あま(9)なだはぶ(10)しとおり

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