第8部 祭り不易流行
播磨の祭り屋台を色彩が包む。地区の結束を強め、きらびやかな装飾で気分は高揚、安全を祈る腕守りの色合いにも意味があった。目にもまぶしい播州の秋祭り。担い手も、見る者も、その華やかさに酔いしれる。

秋ともなると播磨路を、祭りの色が染めていく。
屋台が豪快に練り歩く。黒く輝く漆塗りの神輿(みこし)屋根に、鮮烈な赤の布団屋根。金銀色の錺(かざり)金具や刺繍(ししゅう)がきらめき、担ぐ男たちの肌も紅潮していく。
赤青黄に緑や紫。青竹の先に色紙の花が咲き誇る。屋台を鼓舞するシデ棒だ。それぞれの祭りで、氏子の地区の数だけシデ棒の色がある。
「色へのこだわりは強いです」。お祭り用品を扱う兵庫県福崎町の志水京染店3代目、志水泰さん(38)がカラフルな見本帳を広げて見せる。
赤は赤でも一色でなく、明暗濃淡、少しずつ違う。わが地区のシンボルカラーに合った鉢巻きや法被を-という要望に応えるのが、「色をコーディネートする呉服屋の腕」だと話す。
安全祈願の「腕守り」も、好みの色に生地を染める。白が定番の泥まわしにもカラーの注文が相次ぐ。
屋台が練り合う。色彩が渦巻き、さらに激しく燃え上がる。

赤い鳥居が山上に見える。
姫路市内を流れる市川を上流へ。甲(かぶと)八幡神社(同市豊富町)の秋祭りは15台の屋台が出る華々しさだ。
祭りの3週間前、9月16日の朝。山裾の甲池をシデ棒が彩っていく。当番町の赤色に続いて、宮入り順に赤と水色、赤に黄色、青色、黄色、深緑…と15種類がフェンスに立つ。10月7日の本宮ではここにずらりと屋台が並び、甲山を上っていく。
シデ棒立てを指揮しつつ「子どものころはなかったな」と、甲祭会の山本登起男会長(55)。始まったのは平成に変わるころのようだ。
シデ棒は「灘のけんか祭り」など播磨の浜手が発祥といわれる。
「江戸後期の祭礼絵巻や絵馬にも描かれている」と、播磨学研究所の小栗栖(おぐりす)健治副所長(64)は指摘する。ただ、色は白と赤くらいで、さほど数も多くない。祭りが大きくなるにつれ、地区の“色分け”が進んだとも考えられる。
その色は、実は変化してもいる。灘のけんか祭りで知られる松原八幡神社(同市白浜町)。今年の年番の妻鹿(めが)地区といえば朱色だが、かつて「妻鹿の紺シデ」の言葉があった。恵美酒宮天満神社(同市飾磨区)の玉地(たまち)地区でも当初の紺を赤に変え、今の桃色は1985年からという。 シデ棒が内陸部へと拡散していくのも、ちょうどこのころ。今年からプラスチック素材のシデ棒キットを売り出した志水京染店(兵庫県福崎町)によると、注文は「西は龍野、東は明石」と播磨一円に及ぶ。
百花繚乱(りょうらん)。ハレの日に心が躍る。

赤でもなく、黄色や青でもなく、「端赤(はしあか)」。それが恵美酒宮天満神社の東堀地区の鉢巻きだ。
白いさらしの端を三角に折って、赤い染料に漬ける。色の生地を買うことが大半になった今でも700枚前後を毎年手染めし、全戸に配る。
「それが伝統やから」と黒塚賢治自治会長(70)。50年ほど前、屋台の伊達綱(だてづな)を茶色く染めた時期がある。
「鉢巻きも茶色にしてええか、と言うたら当時の会長に怒られてね。ずっとそのまま」と振り返る。飾磨は濃い藍の「かちん染(ぞめ)」で知られた。そんな歴史も思い起こさせる。
軽くねじって横で巻くのは昔風。今は細めに四つ折りし、正面で短く結ぶ。さらに、先をとがったようにカットする人もあり、ピンと立った赤色が勇ましい。
練り子姿といえば、頭に鉢巻き、下は白い泥まわし-だと思いきや、カラーのまわしを見ることがある。
東堀の隣の玉地地区。若手の間で桃色を濃くした小豆色のまわしが、3、4年前から広がる。
「団結力が強くなる」と青年団の藤本一志副団長(24)。まわしの色に決まりはない。繻子(しゅす)のまわしが好まれた時期は紺や黒もあったという。個人持ちなので染め代もかかるが、既に20人ほどに。「よそから見ても、ええなって思うんちゃうかな」
祭りに、新たな彩りを添える。

男衆の左腕に揺れる「腕守り」。灘のけんか祭りでは、無事を祈って妻や恋人から贈るのが習わしだ。
「毎年いろんな色でしようけど、考えるのが楽しみで」。妻鹿地区の竹内悦子さん(60)が箱を開けると、緑、紫、青と色とりどりの腕守りがぎっしり詰まっている。
布地は半襟。呉服店で、真ん中に「守」の1字、両端に名前と地区名を刺繍(ししゅう)してもらうと、袋状に縫い、糸で房飾りを付ける。10月1日が、縫い込む護符をもらう日だ。
カラフルな腕守りは夫婦の歩み。でも、11年前から布地は赤一色だ。屋台が足に落ちて骨折したためで、「赤は魔よけの色というでしょ」。房も重たくないようにと、だんだん短くなってきた。
手作りする人は少なくなったが、腕守りも播磨各地に広がっている。志水京染店には、ぼかし染めにし、房を左右で色違いにするなど凝った依頼が各地から相次ぐ。女性よりも男性にこだわる人が多いという。
播磨の祭りは屋台の祭り。屋台と屋台が力と技の美を競い合う。
「祭りの担い手が盛り上がるだけでなく、観衆も一緒に盛り上がる。それを演出するのが色。華やかさを醸し出す大事な役割を持っている」と小栗栖副所長はみる。
秋は深まり、錦繍(きんしゅう)が景色を彩る。祭りも負けじと華やかに、鮮やかな色を増していく。
(記事・田中真治 写真・大山伸一郎、大森 武)

「色彩にもまた一つの近代の解放があった」。そう記すのは、兵庫県福崎町出身の民俗学者柳田国男の「明治大正史 世相篇」である。
天然の色彩の数と、手で染め、装うことのできたものとの隔たりを化学染料が埋め、目に立つ色を避ける意識も変わったとする。
シデ棒などのカラフルな色に、カラーテレビやカラー印刷の影響を挙げる人もいる。より現実に近い色が再現可能だという4K8K映像の時代、祭りの色はさらに変化するのかもしれない。