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第8部 祭り不易流行

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 日本全国でも有数の祭りどころ、兵庫県播磨地方。中でも毎年最多の観客が詰めかける姫路・灘のけんか祭り。旧7ケ村の屋台が激しく練り合い、男たちの誇りがぶつかり合う祭礼の歴史を、100年以上にわたって伝えてきた神戸新聞紙面とともに紹介する。

灘の誇り 平成最後の宵宮
ハレの日を待つ屋台蔵。ひっそりと、ふつふつと=姫路市飾磨区妻鹿(撮影・大山伸一郎)
ハレの日を待つ屋台蔵。ひっそりと、ふつふつと=姫路市飾磨区妻鹿(撮影・大山伸一郎)

 細い路地が入り組む、昔ながらの街並みが暮れていく。三差路にたたずむ屋台蔵の明かりと熱気が、10月初旬の涼風にたゆたう。

 「いち、にのさん」。妻鹿(めが)の男衆が、えんじと金の「伊達(だて)綱」を屋台の四隅に縛り付けている。美しく勇壮に見えるように、激しい練り合わせで外れないように、何度も確認する。

 東山、木場(きば)、松原、八家(やか)、宇佐崎(うさざき)、中村の6地区と合わせた旧灘七カ村による松原八幡神社(姫路市)の「灘のけんか祭り」。妻鹿は今年、運営を担う「年番」に当たり、気合と誇りはいやが上にも高まる。

 豪快な神輿(みこし)合わせと屋台練り。お旅山の段々畑を埋め尽くす見物客。けんか祭りは七カ村の喜怒哀楽と時代の遷移を詰め込みつつ歴史を重ね、神戸新聞も120年の紙齢を刻んできた。

 播磨を代表する秋祭りはきょう14日、平成最後の宵宮を迎える。

けんか祭り 時代映す
(上段)神社前での神輿合わせに熱狂する人たち=1982年(下段左)掛け声勇ましくお旅山を登る屋台=1970年(下段中央)村と村の誇りがぶつかる屋台の練り合わせ=1973年(下段右)かやぶき民家の前を通って屋台がお旅山へ向かう=大正時代
(上段)神社前での神輿合わせに熱狂する人たち=1982年(下段左)掛け声勇ましくお旅山を登る屋台=1970年(下段中央)村と村の誇りがぶつかる屋台の練り合わせ=1973年(下段右)かやぶき民家の前を通って屋台がお旅山へ向かう=大正時代

神輿(みこし)は毎年修繕を加へて新調せし如(ごと)くせるも此(この)一日にて屋根と飾物は粉微塵(こなみじん)となり僅(わずか)に臺(だい)を残すのみとなる 【1905年10月15日付】

 神戸新聞120年の歴史で、松原八幡神社(姫路市)の「灘のけんか祭り」の様子を初めて伝えたのは、創刊8年目の明治38年。人出は約10万人、お旅山の練り場を囲む桟敷席の記述も見られ、当時から多くの見物客でにぎわっていたようだ。

 文中には「喧嘩(けんくわ)祭」の表現もあり、「神輿の打付け合ひ即(すなわ)ち喧嘩」と説明。なじみの通称が、明治期には定着していたことがうかがえる。

 ちなみに、海外の観光サイトでは、通称を直訳して「Fighting Festival」とする紹介文も。八家(やか)地区の福井一吉さん(67)は「荒々しさはあるが、れっきとした神事。“殴り合いのパレード”みたいに解釈されるのは心外だ」。

灘七郷はさながら沸きかへる様な賑(にぎ)はひ 殊(こと)に賑はいの中心たる松原神社は電車、自動車で集る集る身動きもならず【35年10月16日付】

 この日の1面トップ記事の見出しは「政府、軍部妥協成り」。時代は大正から昭和へ移り、軍靴の足音が大きくなる中でも祭りは盛況だったが、「灘まつり」(神戸新聞出版センター)によると、日中戦争により翌36年限りで中断したという。

 妻鹿(めが)地区で生まれ、松原地区に嫁いだ加藤照子さん(91)は「女性が日ごとに着物を変えて見物し、さながら衣装比べのようやった」と華やかな戦前の祭りを振り返る。現在の住まいは、中村地区のケアハウスあさなぎ。職員の制服は同地区のシデ棒に合わせたという水色で、年中「祭り衣装」に囲まれている。

戦中戦後に中断期間も
昨年のけんか祭りで壊れた神輿の修復作業を始める9月1日の「鑿(のみ)入れ祭」。祭りの準備が本格化していく=姫路市白浜町、松原八幡神社
昨年のけんか祭りで壊れた神輿の修復作業を始める9月1日の「鑿(のみ)入れ祭」。祭りの準備が本格化していく=姫路市白浜町、松原八幡神社

土曜日に快晴ときたので十数万の人出を呼び、さすがの播州祭圧巻絵巻を繰りひろげた【49年10月16日付】

 終戦から4年、祭りは復活した。七カ村を校区に含む姫路市立灘中学校はこの年、校歌を制定。「その名も著(しる)き 祭りの灘と 郷土の誇りを かざせよ高く」と歌詞に刻んだ。

 毎年9月の同校の体育大会では、教員が「世弥栄(よいやさ)」とプリントされたそろいのシャツを着込み、3年生が「棒引き」の競技で使った木の棒を屋台に見立てて担ぐ伝統がある。

白浜の町は十四日からお祭り気分で工場街はほとんど休業、従業員たちは酒こう料をもらって十六十七日ごろまで臨時休暇【53年10月15日付】

 14日の宵宮、15日の本宮に加え、かつては16日を後宮(あとみや)などと呼んで休息日に充てていたという。町内にはサーカス小屋や露店が並び、月末までにぎわっていたらしい。

 記事の後段には「白浜の宮駅に特急が臨時停車」との記述がある。恒例となった山陽電鉄の特別ダイヤは、60年以上前から組まれていた。山電と祭りといえば「締め込み姿の乗客は無料」という“都市伝説”があるが、担当者は「公式見解としては、きちんと運賃を支払っていただきたい」と微妙な言い回しだ。

例年ケガ人の続出する屋台の練り合わせは飾磨署と地元の話し合いでことしは全面禁止【68年10月16日付】

 勇壮さの一方で、危険と隣り合わせのけんか祭り。50年代以降、死傷者が相次いだためさまざまな対策がとられ、半世紀前にはついに屋台の練り合わせがなくなった。

 しかし、70年にテレビ番組の企画で故坂本九さんらスター歌手が訪問。「屋台練りのだいご味を見物人にたっぷり味わってもらうなどサービス」(10月15日付)するなど盛り上がり、いつしか復活したようだ。

受け継ぐ 誇りと伝統
10月1日、修復した神輿を奉納する「奉据(ほうきょ)祭」。妻鹿の男たちは「ヨーイヤサー」の掛け声で乾杯した=松原八幡神社
10月1日、修復した神輿を奉納する「奉据(ほうきょ)祭」。妻鹿の男たちは「ヨーイヤサー」の掛け声で乾杯した=松原八幡神社

世相の混乱による中止はかつても例があったが、平和で豊かな時代の突然の中止に、若者や子供たちも困惑気味【88年10月2日付】

 昭和天皇の容体悪化を受け、氏子総代会が屋台の練り合わせなどの自粛を決める。記事には「祭りのために盆や正月も返上して働いてきた」などの戸惑いの声が並ぶが、当時から松原八幡神社の宮司を務める亀山節夫さん(81)は「『荒いだけの祭りか』と言われたらあかんわな。やっぱり礼儀が大事ちゅうことや」と肯定的に振り返る。

 元号が平成に変わった翌89年5月、姫路市制100周年記念行事「姫路シロトピア博」で、七カ村が姫路城三の丸広場で屋台練りを披露。約27万人の観衆を集め、前年の分まで大いに盛り上がったという。

妻鹿の屋台は「胴突き」と呼ばれる激しい担ぎ方で知られ、かじ取りをする「棒端(ぼうばな)綱」に手が滑りにくい国産の麻を使うなどしている【2008年9月14日付】

 今年の「年番」を務める妻鹿地区は10年前、総額1億円超をかけて屋台やだんじりなどを新調した。屋台と一口に言っても、妻鹿の胴突きのほか、先頭で宮入りする東山、早打ち太鼓の木場(きば)、龍の紋が特徴的な宇佐崎(うさざき)など、地区ごとにしきたりや個性がある。

 「どこも『おらが村が一番』と信じ、村の歴史と人生を祭りに懸けてきた。その積み重ねがあって、今の盛り上がりがある」。妻鹿の総代、篠原大典さん(77)は、七カ村が受け継ぐ誇りと伝統を強調する。

(記事・小川 晶 写真・大山伸一郎、斎藤雅志)

余白の余話
神戸新聞NEXT
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 兵庫県の重要無形民俗文化財にも指定されている「灘のけんか祭り」。松原八幡神社の秋季例大祭が正式名称ですが、地元では単に「祭り」で通ります。

 現在の祭礼様式は明治初期に固まったとされ、宵宮は神社で屋台の練り合わせ。本宮は、年番による3基の神輿(みこし)のぶつけ合いと屋台の練り合わせがあり、お旅山の練り場でも繰り返します。

 「神輿合わせ」は、神功皇后の戦の帰途、船についた貝を落とした伝説に由来するそうです。

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