長期化する悲惨な環境 生活拠点として改善を
地震発生から一カ月が経過してもなお、二十万人もの人々が避難所暮らしを余儀なくされている。本来、避難所での生活は長くて一・二週間を目安にしたもので、それゆえにともかく雨露をしのぐだけのお粗末な環境しか用意されていないのが現状である。
あまりに多数の避難者が出たということもあるが、避難所の対応や備えが不十分なこともあって、最低限の生活すら保障できない状況にある。
プライバシーがまったくといってよいほど確保されておらず、非人間的な状態が長期にわたって継続している。避難者を収容するスペースが足りずに、階段や土間で寝るのはまだいいほうで、寒い冬空でテント生活している人も少なくない。
私たちが避難所を調査したところ、いまだに暖房が入らず、凍えるような環境で多くの人が暮らしていることが判明した。畳や段ボールを敷きたい、ベニヤ板か段ボールで仕切りを作りたい、洗濯機や物干しが欲しいといった切実な要求も多数寄せられている。
ここで私が問題にしたいのは、どうしてこうした要求がすぐに解決できないのかということである。暖房がなく風邪をひいて亡くなる人が相次いでいるのである。
ガスが使えないのなら、電気ストーブや石油ストーブを大量に発注したらよいではないか。全国の心ある支援を求めてみては、とも思う。
避難者が石油ストーブを使用しようとしたら「余震で危険だから」という理由で使用を禁止したとのことである。避難者の切実な声が行政にも国民にも届いていないのである。
この避難者の悲惨な実態が伝えられないということでは、マスコミが十分その責任を果たしていない、と痛感している。
「避難者は明るく頑張っています」という報道はつくられた美談だと思うのである。家を失い、家族を失い、仕事を失い、かつ冬空に震えていて「明るい」はずがない。真実を正確に報道してほしいと思う次第である。
さて、この避難所生活がいつまで続くのか、その先の光明を見いだすことができない。数カ月もの避難所生活は最低覚悟しなければならないであろう。とすれば、避難所の環境改善を、抜本的かつ緊急に図る必要があると思われる。
もはや避難所は緊急避難のための場所ではない。避難所から通勤するという現実にも象徴されているように、それは半恒久的な生活の場であり、これからの生活再建の拠点として位置づけられるべきものである。
仮設住宅などの建設を急ぐことも必要だが、それよりもまず避難所生活に、プライバシーを守れる最低限の居住環境をつくり、心休まる時間と空間を確保するために、総力を尽くすべきだ。ボランティアの善意に甘えているだけでは何も解決しない。
今必要な視点は、避難者にこれ以上苦しみや悲しみを与えてはならない、ということであろう。そのために何ができるかを考えて、行政はもとより、心ある人々が支援の手を差し伸べていただきたい。避難所のなかにミニ住宅をつくり、コミュニティーとだんらんを取り戻したいと思う。
=おわり=
略歴 室崎益輝(むろさき・よしてる)京大工学部建築学科卒。同学科助手を経て、1977年から神戸大学工学部へ、87年から教授。都市防災が専門で、阪神大震災でも火災などの被害状況を調査した。50歳。尼崎市出身。
1995/2/25