「あの世が近いのにな、こんな寂しいところにいつまでおるか思うたら、情けのうて」
神戸市北区鹿の子台北町の仮設北神戸第一住宅で、竹ウトさん(93)は遠くを見る目になった。三宮から電車を乗り継ぎ、駅から歩いて約十五分かけ一時間余。交通費は千円弱かかる。
ウトさんは独り暮らし。足が不自由で、つえが欠かせない。仮設住宅内に一日おきに八百屋が来てくれる。その買い物が唯一の外出になった。後は、テレビを相手に過ごす毎日。
震災まで、JR六甲道駅に近い同市灘区神前町の長屋に住んでいた。手押し車を押して、八百屋と銭湯に行くのが日課だった。午後三時半、銭湯に老人仲間が集まり、湯上がり後、話に花を咲かせた。毎週木曜日には中央区の沖州会館で開かれる老人会に参加した。会費は百円。お茶を飲み、沖縄の踊りを楽しみながら、世間話をした。欠かさず行った。
「みんな、私の仕事やもん。神戸にいる時は、寂しいと思ったことない。こっちに来たら、暇が多くていろいろ考えて眠られへん」
仮設住宅で隣り合ったお年寄りと仲良くなり、食事を分けあったり、向かいの家族が何かと声をかけてくれたりする。息子は週一回来てくれる。それでも寂しい。「神戸におった時は…」。ウトさんにとって、仮設の町は住み慣れた神戸ではない。
家賃約二万円だった元の借家は取り壊された。銭湯仲間は散り散りになってしまった。老人会が再開されても、駅まで一人で行けないウトさんは参加できそうにない。町への思いは募る。
友人たちと店で飲むのが楽しみだった男性。月一度のカラオケ会を心待ちにしていた女性。住み慣れた町から遠く離れ、高齢者らはささやかだった生きがいを見失っている。
移動の不自由さは高齢者だけではない。西区の大規模仮設住宅では、少しでも外出しやすいようにと、障害者用に設けた四棟の出入り口にスロープが付けられた。しかし、砕石舗装された敷地内の中央にあっては、車いすでは動きづらい。そんな環境も高齢者や障害者らを孤独に追い込んでいる。
孤独感をいやす抜本的な対策はあるのだろうか。市は、民生委員と協力し独居老人らの訪問を行う「ふれあい推進委員制度」を八月から始める。しかし、安否確認が主な目的で、生きがいづくりの手伝いなどは難しそうだ。
「家と町はセット。家だけ移した結果、断絶が起こっている。仮設住宅の居住性を最低限保障して、はじめて次のステップにいける。そのうえで、生活再建をアドバイスしていかなければ」と京都大学工学部の高田光雄助教授(建築計画)。
「元の町に戻れるのやろか」。テレビを見ながらウトさんは考えている。
1995/7/27