震災復興土地区画整理事業が導入された兵庫県津名郡北淡町富島地区の復興が苦境に立たされている。震災前から、過疎や高齢化、インフラ整備の立ち遅れなどの難問が山積していた同町。震災で全世帯の約六四%が全半壊した。中でも町中心部の富島地区は壊滅的な被害を受けた。区画整理に町活性化の夢を託す行政、一刻も早い自宅再建を願う仮設住宅の入居者、さらに被災を免れた住民に重くのしかかる減歩…。三者三様のモザイク模様が町づくりの前途を険しくしている。(室矢英樹)
今回の区画整理が、計画発表から約一カ月という異例の早さで都市計画決定されたのは「被災者の住宅復興を急ぐ」のが最大の理由だった。しかし戦災復興の区画整理も未経験のうえ、町の近代化という投資がそれほど切実でない淡路島での導入は、当初から住民の間でいぶかる声が多かった。
事実、同町都市整備事務所に派遣された職員の一人は「地元自治体、住民ともに区画整理に対する認識が浅く、近代的な町づくりを目指す手法が昔ながらの漁師町にふさわしいか、熟慮する間もなく導入してしまったことが、後々に響いた」という。
計画が進展しない最大の理由は、地区内の被災ぶりに差があることによる。早期の住宅復興を望む仮設住民と、事業着手によって現存家屋の九割以上が解体される運命の住民とでは、区画整理に対するスタンスが異なる。昨年三月の計画決定から、これまでに結成された住民団体は七つに上り、被災状況が異なる地域ごとにグループが存在する。町は今年十月の事業認可を目指しているが、住民の激しい反発で計画案は二転三転した。
富島の中で最も被害の大きい東地区。住民団体「東の丁街づくり会」のメンバー、自営業川西三雄さん(61)は「区画整理だろうが、何だろうが一刻も早く家を建てたいから、事業に賛成だ。町が事業説明に十分時間をかければ、早期復興ができたはず」と話す。
一方、被害が軽微な西地区の住民を中心とする「富島地区を愛する会」の代表、仲井義夫さん(63)は「働く場所の少ない所にインフラ整備を進めたところで、若者の定着は望めない。幹線道路をむやみに広げて、被災者に減歩を強いるのは酷。被災を免れた住宅を、区画整理でつぶすのは許せない」。
全団体が共通のテーブルについたことは一度もなく、住民同士でも対立。この七月、事業を進める町都市整備事務所は、幹線道路幅を一メートル縮小する妥協案を賛成派に非公式に提示したが、ある役員から「反対派に利するような変更は許さない」とそっけない態度が返ってきた。
富島地区は、傘も差せない幅二メートルほどの細い路地が住宅から港へ放射線状に延びている。この地区に十五メートル幅の幹線道路を中心に、四・十四メートルの道路が事業で新設される。
小久保正雄町長は「できる限り地区の実情に即した計画案を作りたい。しかし、高齢化と過疎で税収入が伸び悩む北淡町では、国の補助金に頼らない計画を策定するのは困難だ」と話す。
震災前には約五十六億円だった当初予算は、九六年度で総額約百四十億円。うち町税は七%を占めるにすぎず、起債残高は約百億円に膨張した。国や県の支出金が頼りの弱々しい財政体質だ。このため、震災特例で国の補助金が跳ね上がった区画整理は、町にとって負担が少なく、インフラ整備も向上する絶好の手段だった。
野島断層近くの仮設住宅に暮らす主婦Aさん(54)は「道路幅だ、減歩だ、補助金だと対立しているが、将来、どんな町をつくろうとするのか、肝心の議論が欠落している。地域のニーズ抜きに復興はありえない」と話している。
<富島地区の土地区画整理事業計画>
総事業費百七十八億円。施行面積二十・四ヘクタールに十五メートル幅の幹線道路が新設される。平均減歩率は約一〇%。対象住民は六百二世帯約千六百七十人で現存家屋は約四百戸。事業着手で九割以上の家屋が解体される。町は今年十月の事業認可を目指している。
1996/8/5