震災の混乱の中で食料や住まいの確保に奔走した被災者。避難所の運営などさまざまな形で支援したボランティア。そうした足跡を直接伝える膨大な記録や資料が、次第に失われつつある。大学や図書館、市民グループは、系統的な保存に向け、ネットワーク化などに取り組んでいるが、転居などが進むにつれ、捨て去られてしまうという。避難所の張り紙やビラ、ボランティア日誌…。整理の際には、提供をと呼び掛けている。
「これだけは手元にありました」。十一月末、神戸市長田区の育英高校。記録収集を進める兵庫県の外郭団体「21世紀ひようご創造協会」の地域情報センター職員に、学校側が避難所当時の資料の数々を示した。
同校は震災当日から被災者を受け入れ、ピーク時は七百五十人余りに達した。その一人ひとりが記入し、正面玄関に張り出されていた五十音順名簿。家族四人の名前の下に「お兄ちゃんへ お母ちゃんと一美と一緒にいます かずこ」とのメッセージが読める。
校舎内の消火器の列を教職員が撮った写真は、震災直後の火災への恐怖を物語る。
同センターは、行政資料を中心に約一万点を保存、避難所の記録などは約四千点を収集した。が、資料の散逸や時間の経過で、状況は厳しくなっている。
仮設住宅千五百戸に協力依頼のビラを配った時は反応ゼロ。避難所から仮設、恒久住宅への転居に伴って捨てられるケースも多く、記録を保管する元避難所リーダーを捜し当てても、人間関係を築いて初めて譲ってもらえるという。
同センターと同様、保存に取り組む県立図書館郷土資料室の宮本博さん(43)は「ビラやチラシはもともと残すためのものではなかった。被災者に今の情報を伝えるのが役目で、新しいものにこそ意味があった」と認めながらもこう指摘する。
「震災は今後五十年、百年と検証していくべきテーマだ。多くの書籍や報告書が出されているが、書物にはどうしても主観が入る。将来、再検証しようにも原点に戻ることができない」
「ひようご創造協会」の北岡孝統さん(48)も「ビラやチラシの価値は私たちが判断すべきものではない。足跡をそのまま保存し、価値判断は後世の人に託すべきだ」と話す。
兵庫や大阪の図書館、史料館の職員有志は今、「震災記録を残すライブラリアン・ネットワーク」を組織、情報交換のほか、保存状況アンケートなどを実施している。
同ネットワークは市民グループの震災記録情報センター(神戸市東灘区)とも連携し、震災記録情報交流会を開催。十一月下旬に神戸・元町で開いた会合では、保存の問題だけでなく、震災記録のビデオを見ながら、災害時の情報発信のあり方なども話し合った。
しかし、ライブラリアン・ネットワークは、個人参加のレベルにとどまり、官民共通して人員不足と資金確保に悩んでいる。震災からまもなく二年。ナマの体験をどう伝え、継承していくかというテーマを前に、関係者らは「この一年ほどで集めない限り、散逸してしまう」と、危機感を募らせている。(小本 淳)
1996/12/2