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(1)市民発議 理念こだわり苦闘1年
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 参議院会館第三会議室。二十日午後一時、市民グループ「市民=議員立法推進本部」のメンバーと議員ら約二百十人が集まった報告集会は、安どと熱気、険しさが交錯していた。

 市民グループの先頭に立ってきた作家・小田実は「百里のうち、三十里も来たかどうか。これからも国会の外で心を固めていく」と厳しさを崩さず、議員らは「ここまで来たのは市民の努力」とたたえながら、「成立まで大きな壁がある」「多数派工作がポイント」などの発言が相次いだ。

 「災害被災者等支援法案」は、その一時間半前、参院事務総長に提出された。

 発議者は、田英夫(社民)▽本岡昭次(民主・新緑風会)▽山下芳生(共産)▽栗原君子(新社会)▽片上公人(平成会)▽島袋宗康(二院クラブ)の六人。賛同議員を含め計三十九人だが、自民党議員の名はなかった。民主党も少なかった。

 ぎりぎりの十九日まで、連日、参院議員会館で支持を求めてきた推進本部事務局長、山村雅治らは、民主党・中尾則幸の部屋で、苦い思いを味わっている。

 中尾は早くから法案の趣旨に賛同していた。が、返ってきたのは、「個人的には応援したいが、衆院で共同提案した法案がある」という答えだった。

 「参院は党議拘束をしないのが原則ではないんですか」。山村は詰め寄ったが、中尾は十四日、新進・民主・太陽の三党が別の被災者支援法案を衆院に提出したことを理由に、あらためての署名、なつ印には応じなかった。

 二十一日の民主党政調役員会で賛同を働きかけたいとする声もあるが、田が数日前、協力を申し入れた党代表の菅直人は「党の案がありながら、他の案に賛同するのはいかがなものか」と返している。

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 法案は、ちょうど一年前の五月、小田、弁護士の伊賀興一ら四人の運動から始まっている。独自の法案をまとめた小田らは「市民発議の立法を」と、国会議員に賛同を求めた。

 参院法制局を交え、市民と議員がテーブルについたものの、動きは曲折する。当初、「現行の災害弔慰金法改正で見舞金支給を」という田の私案が出た時、市民側は強く反発した。案は修正を重ねた。

 結局、法案は新しい法律ではなく、改正案の形を取った。市民らが訴え、こだわり続けてきた「災害で破壊された生活基盤の回復は国の責任で行う」という基本的考えは、「法の目的」に盛り込まれた。

 昨秋以降、「推進本部」が集めてきた趣旨賛同議員リストには今、衆参百二十人の名前が挙がる。共産党と新社会は全員である。

 しかし、発議に加わった党でも、新進党が中心の平成会の賛同は一部だけ。社民党は、田が市民との窓口になってきたが、正式に発議者に名を連ねることを表明したのはこの十五日。参院社民党には、与党の一角として自民との関係を重視する雰囲気もある。

 「発議者を出したことは、党としてこの案に反対しないということだ」と、田はその姿勢を説明する。

 法案提出までこぎ着けた市民発議の立法。小田らは「日本の民主主義政治を再生させる動き」と呼ぶ。

 通常国会会期末は六月十八日。一カ月を切った。健康保険改革法案、介護保険法案など懸案が山積し、「新進党などの支援法案と別個のままでは、見通しは厳しい」と本岡らは言う。

 市民グループは二十一日以降も、議員会館を回り、賛同を求め続ける。

(敬称略)

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 震災から三年目に入っても生活再建への道はなお遠い。公的支援を求める声は、法案となって国会に提出された。しかし、自民は固い姿勢を崩さず、法案は衆・参別個に二本出された。衆院は新進を中心とした案、参院は超党派案である。法案の行方を追った。

1997/5/21
 

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