震災直後、区役所の一画をボランティアの活動拠点に開放した神戸市職員が、述懐した。
「賭(か)けだった。一緒にやるのは初めてだし、不安は絶えずあった。でも、彼らの機動力や企画力に感心した。彼らの協力なしには乗り切れなかった」
行政は、自治会や婦人会など既存の団体を通じて地域をまとめるのが、いわば日本の常識だったが、震災は、この官製のタテ社会を揺り動かした。旧来の方法では、今の地域社会に通用しない。ボランティアやNPO(非営利組織)と連携する必要性を感じたと、今も多くの職員が口にする。
行政と市民が対等の立場で地域社会を築く。そのありようが、全国各地で相次ぐ「官民パートナーシップ」の動きから見えてくる。背景には、自治体が抱える財政危機がある。だが、そうならざるを得ない新たな時代の到来を予感させる。
豊中市は、その一つだ。
地域の環境行動計画「豊中アジェンダ21」を生んだパートナーシップ組織「とよなか市民環境会議」。九六年当初から一年間ほどは、企業は「また行政からお荷物を背負わされる」、市民は「行政は何をしてくれるのか」と、不満をぶつけ合う状態が続いた。
転機は、開発をめぐり行政と対立することもあった環境運動に取り組む人たちが、同会議の中心となり、対等の立場で動き始めたことだった。市企画調整室の佐藤徹さんは「これからは市民、事業者、行政がなれ合いではなく、いい意味で監視し合う適度の緊張感が必要だ」と実感する。それが、本来の市民社会だという。
都市だけではない。存続の危機に直面する過疎地も、同じような環境にある。
何もないところから「一」を生み出そうと、「1/0(ゼロ分の一)村おこし運動」を展開する鳥取県八頭郡智頭町。住民自治、地域経営、交流・情報を三本柱に、徹底的に「住民主体」にこだわる。住民自らが集落ごとの十カ年計画をつくり、町政に反映させる。集落情報紙の発行から始まって、花の小道づくり、公民館建設の設計・業者選定までを住民が担う。個人個人の意識の改革によって、集落の再生を図る。
改革リーダーの一人に、七十三歳の長石昭太郎さんがいる。この先も集落の人口減は避けられないが「これまで、楽しいとか夢とか希望とかはなかったけれど、今は違う。自分らでむらをつくるのだという思いになった」と話した。
この村おこし運動を、総合防災的な側面から助言してきた京都大防災研究所の岡田憲夫教授は、町の取り組みを紹介した編著を通じて「小さなコミュニティーが、地に根が生えた民主主義をはぐくむ。それが、今ほど求められていることはない」と提言する。
震災後の神戸市が打ち出した「コンパクトシティ」構想も、教訓から、都市づくりの担い手を行政主導から生活者主体、地域主体へ、と想定する。遊休施設をNPOの活動拠点に提供し、地域活動団体の育成、支援にも取り組む。
しかし、こうした社会が成熟するには、行政側の説明責任、政策をつくる段階での情報公開などが欠かせない。被災地を見続ける経済評論家の内橋克人氏は「市民参画は、お題目ではなく、権力の再配分をしてこそ、本当の意味で実現する」と提起する。
行政、市民が対等に向き合う。それには、個人だけでなく、行政側の大胆な変革が重要な意味を持つ。
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震災で、被災自治体は機能マヒに陥った。そのすき間を埋めたのは、全国各地から駆けつけたボランティアたちだった。行政は、激変する環境、多様化する市民の需要に対応しきれない現実に気付き、市民も行政の「限界」を知る。延べ二百万人近い震災ボランティアの活躍は、特定非営利活動促進法(NPO法)成立の契機になった。
2000/1/7