「二十一世紀日本の構想」という名の首相の諮問機関がある。五つの分科会を持ち、京大名誉教授の河合隼雄氏が全体の座長を務める。
その河合氏がいう。
「来世紀のテーマは、個人の確立と新しい公の創出にある」
新しい「公」とは、何なのか。答えを求めにいくと、私たちが阪神・淡路大震災で体験した「断面」に遭遇する。もう一度、五年前を振り返ることから、話を進めていきたい。
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「動かせる金は被災地にすべてつぎ込んだ。情としては、さらに踏み込みたかったが、国には原則がある。公平の原則だ」
震災当時、大蔵省主計局次長だった中島義雄氏。その後、大蔵省を退職し、現在、経営再建中の三田工業(本社・大阪)で管財人代理を務める。
「公平には、だれもが納得する仕組みが整い、一部の人間がずるく立ち回って得をしないことが求められる」と説明した。
中島氏の元には、被災地の首長、議員から山のように要望が寄せられた。
「国の予算で処理すべきかどうか、内容を一つ一つ吟味した。見極めが難しかった」。結果、見舞金など被災者個人への支援は「公平の確保が難しい」として見送られた、と話した。
当時の武村正義蔵相は「公平は国の根幹をなす」とする。被災地に入り、公共施設の復旧だけでは不十分と実感したが、個人への現金支給には踏み出せなかった。「支援措置は過去、未来の災害にも波及する」。蔵相の頭にあったのは、やはり、この原則だった。
村山富市元首相ら、当時のトップのだれもから、同じような言葉が口をついて出た。
だが、結果として、政府の支援は被災地の生活実感からかけ離れ、国が公平の原則を強調すればするほど、被災者の間にもどかしい思いが募った。
「日本というシステムはしばしば国民の幸福など眼中にないかのように感じさせる」
元日本外国特派員協会会長で、アムステルダム大学教授のカレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、近著「怒れ!日本の中流階級」で、震災に触れ、こう述べている。
「(大震災では)全国の多くの人々が、政府に国民の面倒をみる能力がないことを思い知らされた」。震災でこの国の冷たさを見たウォルフレン氏は、そのシステムを変えるのが「市民」と説く。
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昨年十二月、三重県で開かれた「率先市民サミット」。個人が経験や知識、職能を地域社会に還元する市民像を描いてみせた。市民の一人として参加した北川正恭・三重県知事は「市民生活は多様化しているが、官はどうしてもマスでとらえてしまう。よりよい社会をつくるには、官と民が対等なパートナーになることが大切だ」と強調した。
全国から集まった参加者の中に、長崎雲仙・普賢岳噴火の被災地、島原のボランティア協議会理事長、宮本秀利氏がいた。
「災害は、私たちの生きる道筋を示してくれた。被災して国、行政、つまり『お上』任せでは自分たちの生命、財産は守れないことが分かった」と話した。
河合隼雄氏もいう。
「日本の場合、公とはイコール『お上』だった。ところが、震災のボランティアやまちづくりの動きは、それぞれ公でありながら、決して『お上』でなかった。注目すべき動きだ」
政府ができなかったところを、ボランティアや市民が埋めた。共通するのは積極的に行政と組み、「公」を担おうとする意識。各地で今、核となるのは、阪神・淡路から戻った震災ボランティアたちだ。
この百年、大国を目指し歩んできた日本。そこには、個人が「公共」の性格を持つ市民として、主体的に考え、行動する経験が欠けていた。その萌芽が、震災後の地域社会で見える。
いかに育てていくか。河合氏が言った。
「今の日本人には、まだ難しいと思う。革命に等しい覚悟がいる」
2000/1/3