激しい風雨の中、出産を控えた京都府伊根町の主婦三野伊久枝さん(29)と両親、長男(2つ)の四人を乗せた軽自動車は、公立豊岡病院に行く途中で立ち往生していた。
二十日午後九時ごろ、兵庫県豊岡市内の国道沿いの小高い場所にあるコンビニエンスストアになんとか避難する。「トイレもあるし、ここで水が引くのを待とう」。両親の声にうなずくしかなかった。
暗く長い夜。車内にいると足がむくみ、おなかが痛む。「もう少しだけ我慢して」。心の中でわが子に呼びかけた。
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翌二十一日午前六時すぎ、夜を徹して安否確認や交通整理に追われた豊岡署庄境駐在所の宮木智春巡査部長(37)は、国道沿いのコンビニに向かっていた。「あそこには相当な人数が避難していたはず。今の状況を説明しておきたい」
約八十人に冠水や土砂崩れによる通行止めの状況を伝えると、伊久枝さんの両親が訴え出た。「出産を控えた妊婦がいます。子宮口が三センチほど開いているんです」
偶然、居合わせた豊岡病院の助産師岸本恵さん(40)と河越栄さん(30)が手を上げた。「妊婦が横になれる部屋を用意できませんか。私たちが付き添います」
宮木巡査部長のパトカーが先導し、約一・五キロ離れた公民館へ。避難者であふれ返っていたが、伊久枝さんは一室でやっと横になった。だが、宮木巡査部長が無線で救助を求めても、本署も手いっぱいで混乱していた。助産師二人と伊久枝さんは覚悟を決めた。「お湯もあるし、もしもの場合はここでお産しよう」
約三十分後、再び幸運が重なる。自衛隊の災害派遣部隊がやって来たのだ。宮木巡査部長が駆け寄った。「何とか病院まで妊婦さんを運んでいただけませんか」
伊久枝さんの手を、隣に付き添った河越さんが握り締め、大型トラックは水没した町を進んだ。豊岡病院の駐車場は浸水がひどく、病院内にはボートに乗り換えてたどり着いた。二十一日午前八時半、京丹後市の実家を出発してから十四時間以上が経過していた。
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翌二十二日午後五時十五分、三〇三二グラムの元気な女の子を出産。「こんな状況で生まれてきたんだから、きっと強い子に育つでしょうね」。河越さんの言葉に、伊久枝さんは答えた。「私もそう思います」
夫婦は「大変なときも笑顔を忘れずに生きてほしい」との願いを込め、「仁瑚(にこ)」と名付けた。「たくさんの人に助けられて生まれてきたことを、大きくなったら話してやりたい」
数日後、宮木巡査部長に伊久枝さんからお礼の手紙が届いた。京都の水害で友人の警察官が殉職したことを知り、落ち込んでいたが、小さな灯がともった気がした。
「あのときは、みんなが極限状態の中で自分のできることを精いっぱいやった。無事に生まれてよかった」
手紙の字が少しにじんで見えた。(幾野慶子)
2004/11/21