十月十九日から淡路島一帯に降り始めた雨は、二十日正午ごろから激しさを増した。山に囲まれた兵庫県津名郡津名町興隆寺地区(四十六世帯)は、市街地につながる唯一の県道が土砂崩れでふさがり、地区全体が“陸の孤島”と化した。
地元の消防団員も身動きが取れない状況の中、県道から五百メートルほど山に入った山田宇一さん(62)宅では、家族四人が強まる雨脚を見守っていた。
午後四時ごろ、「ドーン」という地鳴りとともに竹が割れる音が響く。「裏山が崩れる。家から出ろ」。宇一さんが怒鳴る。幸いにも崩れたのは家の横の土砂だった。
安堵(あんど)したのもつかの間。水道、電気、電話が止まり、携帯電話も通じない。自宅の周りは水があふれ、約二百メートル離れた隣保に助けを求めることは不可能だった。長い夜がすぎた。
翌二十一日早朝。妻なほみさん(58)が外に出ると、県道に出る町道が崩落していた。山側は足元が悪く、どこにも行けない。飲み水も四リットルほどしかない。「完全に孤立した。このままじゃ飢え死にするぞ」。手足の不自由な宇一さんは言い知れぬ不安を感じた。
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昼ごろ、四人は上空を飛び去っていくヘリコプターに気付いた。津名西署が県警本部に要請し、孤立した集落の被害状況を確認していたのだ。
そのとき、宇一さんが戦争で兵隊が下着を棒につけて降伏したという話を思い出した。「次に来たときに気付いてもらえないか」。竹の先に白いタオルを付けて待った。
午後三時ごろ、再び旋回音が聞こえた。外に出て長男が竹をぐるぐる回す。上空から見えるのか分からない。だが、宇一さんはわらにもすがる思いで手を振り続けた。
ヘリコプターが高さ十メートルほどまで近づき、マイクで家族に話しかけた。「こちら兵庫県警です」。その言葉に宇一さんは「助かった」と思わず力が抜けた。
「病人はいるか」「何が必要か」などマイクの声が響く。エンジン音で家族の声は届かず、なほみさんは必死に空のペットボトルを示した。飛び去る前に軽く挙げたパイロットの手に、家族は希望を託した。
津名西署ではヘリコプターから連絡を受け、二十人の部隊を編成。署員は車が通れない約一・五キロの道のりを歩き続けた。山田さん宅前では腰まで泥につかって山を分け入り、崩落した町道を迂回(うかい)。たどり着いたのは午後五時を回っていた。
人の声に気付き、家族は外へ飛び出した。なほみさんは「こんなところまで、すぐに来てもらえるなんて…」。不安から解放され、泣き崩れた。
一カ月後。迂回路はできたが、今でも道は崩れたままだ。県道も復旧のめどが立たず、不便さから市街地に移り住む人もいるという。「でも住み慣れたところやし」「もうちょっと頑張ろうか」。夫婦は、台風のつめ跡が早く癒えることを願い続ける。(高田康夫)
2004/11/24