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(6)絆 知恵受け継ぎ体験共有
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持参のカヌーで被災者を運ぶ吉村さん(左)。週末には多くのボランティアが活躍した=10月22日、豊岡市梶原(撮影・宮路博志)
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持参のカヌーで被災者を運ぶ吉村さん(左)。週末には多くのボランティアが活躍した=10月22日、豊岡市梶原(撮影・宮路博志)

持参のカヌーで被災者を運ぶ吉村さん(左)。週末には多くのボランティアが活躍した=10月22日、豊岡市梶原(撮影・宮路博志)

持参のカヌーで被災者を運ぶ吉村さん(左)。週末には多くのボランティアが活躍した=10月22日、豊岡市梶原(撮影・宮路博志)

 十月二十日夕。消防団員としてトラックで兵庫県津名郡一宮町の土砂崩れ現場に向かった亀井啓さん(33)は、道路の崩壊で足止めされていた。

 「車が来ると危ない。通行止め措置を」。応援を求めると無線機から怒号が返ってきた。「被害が多すぎる。現場で対応しろ」。倒木を積み上げて車止めを作りながら、阪神・淡路大震災の光景を思い出した。

    ◆

 播磨灘に近い一宮町の郡家商店街はあの朝、震度7の激震に襲われた。大阪で育った亀井さんは九カ月前、叔母が営む駄菓子店を継いでいた。

 ドーンという激しい音で跳び起きた。周囲の店が軒並み倒れている。あちこちで助けを求める声がした。屋根を引きはがし、瓦(かわら)をどけ、救出活動を続けた。だが、町内では十三人が亡くなった。

 店の常連だった中学生の兄妹も犠牲になった。前日に子猫を譲ったばかりだった。翌年、消防団員になった。復興事業の網に掛かった店は、若者向けのカフェバーに建て替えた。

 台風23号で町内の山間部では土砂災害が多発、犠牲者も出た。

 一週間後、亀井さんは店に地元のお年寄りを招待した。台風のショックで外出が減り、孤立するのを防ぐのが狙いの「地域サロン」。約二十人が集まった。

 「今回もすごいけど、昔の水害も怖かった」とお年寄りら。励ますつもりが、逆に勉強になった。亀井さんは「知恵を受け継ぐ場」として、若い人にもサロンに来てもらえないか考えている。

    ◆

 台風被災地への出動を決めたNPO「ヒューマンシールド神戸」代表の吉村誠司さん(39)は、夜間の救助活動は二次災害を招きやすいと判断。十月二十一日朝、車にカヌーを積んで神戸市西区を出発し、正午ごろ、一帯が水没した兵庫県豊岡市三江地区近くにたどり着いた。

 各地から派遣された救助隊員に交じり、三十人以上の被災者を安全な場所に移した。浸水した自宅での生活を選ぶ人に水や食料を運んだり、希望者を被災地に輸送する取り組みも始めた。

 二十二日午後一時、カヌーで移動中、一軒の民家前で声を掛けられる。中に入ると、男性=当時(78)=が二階でぐったりしていた。すぐに携帯電話で一一九番。男性を一階まで担ぎ下ろし、救急隊に引き渡した。

 男性は同日未明、浸水で泥がたまった階段で転倒。自宅で休んでいたが家族が異変に気付き、救助を求めていた。

 救出後、男性の死亡が確認された。「手のひらに感じた男性の温かさが忘れられない」。吉村さんは唇をかみしめた。

 経験から「ボランティアは初動が肝心」と確信している。現在は、神戸と新潟の地震被災地を往復する日々が続く。(直江 純、井原尚基)

    ◆

 台風23号の被災地では多数のボランティアが駆けつけ、高齢者世帯を中心に泥のかき出しなどの作業に携わった。豊岡市だけで延べ一万一千人以上。被災者と体験を共有することで、新たな絆(きずな)が生まれた。十年前のあのときと同じように。

=おわり=

2004/11/25
 

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