淡路島の北東部に位置する兵庫県津名郡津名町で土産物店を営む久我真徳さん(65)は、徳島県木頭村で生まれた。同県内でもたびたび最高雨量を記録する豪雨地帯。山に囲まれた村では材木業に携わっていた。
「大きな台風が来ると川が真っ赤に染まったもんや」。山から土が流れ出し、川に混じる。土砂崩れの前触れだった。
大鳴門橋が開通した一九八五年、眼前に広がる海が気に入り、津名町の国道28号沿いに移り住んだ。これまで避難勧告が出たことはないが、「人は言葉や情報が発達した分、自然の変化に疎くなっている」が持論。台風が近づくと、水槽で雨量を測り、「動物的な勘」で自主避難してきた。
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十月二十日午後三時、強い雨に加えて雷が鳴り始めた。裏山から流れ落ちる水は茶色く濁り、深さ七十センチの水槽があふれた。午後四時、自主避難を決めた。
「はよせえ」
家財道具を持ち出そうとする妻(53)と長女(27)に思わず声を荒らげた。車で近くのコンビニエンスストアへ。三十分後、近所の住民に電話をして驚いた。「あんたの家の前の道路に大きな木が生えてるで」
急いで戻ると、国道は高さ三メートルほどの土砂で埋まり、さっきまで生活していた自宅は海岸近くまで押し流されていた。一家が生き埋めになったと思い、必死で捜索にあたっていた警察官や消防隊員らは久我さんらの無事な姿を確認し、ほっと安堵(あんど)のため息をもらした。
何もかも流された。しかし、妻と娘を守った。久我さんは振り返る。
「運命の世界やと思った。死ぬか、生きるか。天との闘いに勝った」
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同じころ、高齢化が進む洲本市街では、お年寄り同士が手を取り合って自主避難を試みていた。
午後三時、同市物部三の長屋に暮らす崎田悦子さん(77)は、二軒隣りの尾畑ミチ子さん(76)に電話をかけた。尾畑さんは今年初めに骨折した背骨がいえず、六月に夫を亡くしたばかり。一緒に避難所に行くことにした。
路地を抜けて県道へ出ると、避難所の方角から泥水が波打って流れてきた。長靴に水が入り、前に進めない。不安と恐怖が二人を襲った。
見回すと、三階建ての民家に明かりがついている。崎田さんはなんとか民家までたどり着き、声を掛けた。が、風雨でかき消される。勝手口に回り、再び呼んだ。顔見知りの女性が顔を出し、慌てて戸を開けてくれた。
振り向くと尾畑さんが持っていた紙袋が破れ、着替えを入れたビニール袋が水に浮いていた。袋をかき集め、二人で倒れ込むように民家の中へ。二階に上げてもらい、水が引くのを待った。
お年寄り同士で避難所に向かう途中に立ち往生し、民家に逃げ込んだケースはほかにもあった。
崎田さんは「私ら二人、他に頼る相手はいなかった。あの時、誰も気付いてくれなかったらと考えると、今も恐ろしい」と話している。(内田尚典、萩原真)
2004/11/22